真綿でくるんだ
君の心臓に風邪をひかせろ、
歯をもつて雷管を噛め、
そして思想を爆発させろ、


政治と文学

私は私の従順性を単純にうけいれて
くれる理想の時代がやつてきたら
私はあらゆるものに
屈服しても後悔しないだらう、
だが今はさうはいかない、
愚劣な政治性が
いかに世間に横行してゐるか、
そしてこれは
作家の単純さや素朴さ
従順さを音を立てゝ喰つてしまふ、
そして口を拭つていふ
――この作品は案外うまくなかつた――と、
しかも喰はれる鼠は
死を前にしてながいこと
惨酷に猫のために玩具《おもちや》にされた、
私の従順性は
けつして軽忽に政治に引渡さない、
あらゆるものが今一人として
政治的に武装されてゐないものがない、
愛されること――、
それは決してこびることでない、
政治と文学に就いて
我々はもつとたがひに反撥する
正しい理由をみつけださう、
――政治に可愛がられる文学
とんでもない話だ、
作品の社会性の点検
まづそれを自分一人でやつてのけよ、
それこそ政治性との無言の一致だ、
それで結構だ、
単なる政治はまだ私の詩より汚ない、
政治も文学も
今は一つの桶に入つてゐる
二つの汚れものだ、
クリーニング屋は
まだ開業わずか一年だ。


詩からの逃亡者に与ふ

詩作からの逃亡者が
今日、詩から――評論へ、
詩から――小唄作りに逃げてゆく、
賢明なものは無言で
そして謙遜に去つてゆく
愚劣なものは言ふ
――三十にして詩を書いてゐる
 奴のツラがみたい、と
み給へ、なんと濛々とたちあがる
詩からの逃亡者の詩の罵倒を、
彼等がかつて詩を書いたこと
それは若さの出来心であつた、
生殖器が元気のよい間だけ
彼の詩は幾分ピンと立つてゐた、
だがどうだ、今ではもう
自分で自分の品物をもち扱ひかねてゐる、
そして彼は詩に失望し始めた
彼の生活へ通俗的なシタタリが落ちてきたとき、
彼は前足を散文にひつかけた、
後足は詩に残つてゐた、
そしてやがて彼にとつて混沌たるドブを
身ぶりたつぷりで越えた、
跳ねこえるとき彼は後足で砂を
我々の顔にかけた、
そして逃亡者は言ひ合はしたやうに
逃亡の理由をいふ
――詩ではとても飯が喰へない、と
彼等は何故もつと正直に言へないのだらう、
――詩は若さの過失であつた、と


舌へ労働を命ず

太陽の直射の中にたたずんで
朝は、歌うたひ
昼は、飯くひ
あゝ、夜は眠る然も熟睡である
プロレタリアートの
薔薇をどこに紛失したか
君は知つてゐるか、
それは小鳥が咬へて行つたか
誰かが盗んだか、
いづれも正しい、
労働への感動は失はれた
お前の花はそのためにしぼんだ、
とり戻せ
プロレタリアートは
あらゆる薔薇を、
美しいものを
労働の中から発見せよ、
あゝ、私は歯をむき出して
ものをしやべる人種である
その美しさを誰が知らう、
口をつむんだお上品な方々には
私の素直さはお嫌ひだ
ばくはつする口の労働
舌の早さよ、
考へてゐることは即ち
しやべつてゐることと同じだ、
しやべつてゐることは
勿論――考へてゐることだらう、
私はその方法を採る、
私の詩は尖塔《せんとう》にひつかゝつた
月のやうに危なかしいものではない
夜ふけて、月がまはれば
尖塔もぐるぐるまはる、
そして朝には離ればなれになつてしまふ、
私の詩は空を掃く
嵐のホーキか、
唾液ですべる私の舌は
機械油で滑る車輪のやうに労働する。


春は青年の体内から

永遠に歌ひ継《つ》げ
我等の歌をもつて
夜から暁へのリレー
死ぬものから――生きるものへ
バトンを手渡せ
だまるな、饒舌《ぢやうぜつ》をもつて
敵を圧倒せよ、
牡丹のやうに美しく咲いて
美しく散れ
いゝ加減、政治上の敗北に
のたうち廻ることを
インテリゲンチャに贈呈しろ
過去は過去のみ何ものにも非ざるぞ――。
苦痛に就いては
我等に偉大なる忘却の精神がある、
おゝ、青年よ、
平然と過失を
犯すことは青年の権利だ、
われらは過失を目標としてゐない、
だが過失を怖れては
何事も為し得ないだらう、
再び握れ、熱いものを、
春は青年の体内から――、
氷の中に閉ぢこめられるな
べんべんと季節の
やつてくるのを待つな、
精神の春をもつて
季節の春を迎へ撃て、
いつまでも君は
政治と文学との問題で
待合風にイチャツイテゐるのだ、
いつまでも母親を失つた
児のやうにひがむな
君は君の頭の中に
組織委員会をつくつたらいゝ、
プロレタリアの運命よ、
ひしとお前の寄り添ふときに
恋人のやうに愛することができる、
だがとほく離れてみるとき
お前はみじめだ、
あゝ、若さの情熱のために
われらは、われらの運命を
手離すことができない、


火花のやうに稼ぎださう

友よ、私が愚劣な人間であるか、
賢明な人間であるか証明してくれ、
私はわからない、
何んにも知らない、
私はそろそろ憎まれだした
私が歓呼をあげるが、
誰も歓呼をあげない、
私は勝利をみた、
だが君は何処にも勝利をみないといふ、
私はそれでは夢をみたのだらうか、
君が敗北の現実をみてゐる時間に
私が勝利の夢をみてゐるといふのか君よ、
そして君は憎しみの鍬で
私のところの煉瓦を砕きにやつてくる
私の粗暴な愛は愛ではないのか、
感動は疲労しない、
そして私は火のやうに稼ぎだす
それは空騒ぎではなく
鬱積されたものを
相手の顔の上へ嘔吐するのだ、
怒りの情熱は
いつの場合も空つぽの顔《ママ》を充実させる、
才能の最後の一滴の
したたりをもだし切ることができるだらう、
忘れてゐた言葉、
それは一ぺんに召喚される
憤れ、理由を押したてゝ、
自由に憤るもの、
それは良い旗手だ、
巧者な闘ひ手だ、

君よ獲物を
とらへたときの、蜘蛛の
情熱を想像し給へ、
あのやうに言葉の綾をもつて
敵を捉へなければならない、
針を立てないハリネヅミ
鳴りださないガラガラ蛇、
これらの同居人は
闘ひのアパートから追ひ出してしまへ、
攻勢にでないもの、
それは無用の長物だ。


空騒ぎではなく

我等はこの情熱に
歌うたはせねばならない、
けふ私の頭は空つぽになつてゐた
しかし私は才能を信ずる
私は決して絶望しない、
私はいつも分相応な
憤怒の対象をみつけるから、
弱きものよ、
君も、いゝ憤りを発見したまへ、
すると君はいつぺんに
怒る男性がいかに
美しいかといふことを経験するだらう、
それはほんとうに立派だ、
試みに愛するものに
適宜に怒つて見給へ、
君は一層彼女に慕はれるだらう、
憤れよ、
金属性の時計に
私の心臓は激しく対立する
そして私は勝手に私の心臓に
時の目もりする
二十四時間ではない
はかり知れない時の目盛りを、
われわれは
我々の時間を充実して頑固でありたい、
私は愚劣さの火花を散らしながら
愚直に行動
することが一番好きだ、
君はそれに眼をそむけてゐた、
だがたまり兼ねて憎みだした、
私は勝利の盲信者であつてもいゝ、
私を変質者とみても構はない。


不謹慎であれ

わたしがはげしい憤りに
みぶるひを始めるとき
それは『あらゆる自由』
獲得の征途にのぼつたときだ、
その時、私は不謹慎でなければならない、
不徳でも
また貪慾でもなければならぬ、
悪い批評を歓迎する、
下僕共は主人の規律を守らうとして
過去の調和と道徳とを愛する、
 『人間が犯し得るあらゆる不善[#「不善」に傍点]は
  いづれも皆公然と聖書[#「聖書」に傍点]に記されたる
  もののみならずや?』――ブレイク
聖書もまた喰ひたい
私が犯す不善は
聖書の中に書かれてないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、
歴史はまだまだ聖書に
かゝれない偉大な不善を犯すだらう
然もその不善は
あくまで独創的で
我々のものでなければならない。


公衆の前で

感情も肉体も
あらゆるものを動員せよ、
ピアノは強く叫んでゐる
公衆の前で――、
手は鍵《キイ》をたたいてゐるとき
足がペダルを踏んでゐる、
そして頭が拍子をとつてゐる、
そのやうに
君は精神も肉体も
あらゆるものを調子よく動員せよ、
恐れるな、
君がどのやうに強烈に
公衆にむかつて
叫びだしたとしても
ハラワタなどが
飛び出す心配が
決してないだらうから、
口を結んでゐることは
決して意志的だとは限らない
間違ふな、
沈黙と、忍耐とを
口を結ぶのは
苦痛を堪へるその時だけだ、
口を開かせるにも足りない
小さな苦痛はお芽出たい
私は言葉の
追撃砲をもつてゐる
君も何か武器をもて
機関銃でも
曲射砲でも、
野砲でも、
君は銃口を開きつ放しで
間断なく弾をおくれ、
我々は鉄ではない
我々は生きた人間だ
我々はどのやうに叫んでも
射撃のために銃身の焼けることなどはない。


我等は行進曲《マーチ》風に歌へ

おのれの技術の未熟さを棚へあげろ
ロクでもない詩人は
日本語を呪ふ――。
ソビヱットへ生れかはつたら
果して彼は立派な詩が書けたか
私は保証ができない
彼はいふだらう、
どうもロシア語は韻律的ではないと――。
ぜいたく者奴が、
何処へ生れようが同じことだ、
情熱のないものには歌がない
君に教へてやらう、
どうして日本語がリズムを生むかを、
敵を発見したもののみが
感情が憎悪のために湧きたつのだ、
君は日本語の韻律に絶望した
そして言葉の孕んでゐる現実に
たよつて詩を書くことを主張する、
なるほど、なるほど、
言葉がリズムを背負こんで
君を訪ねてきたときだけ君は歓迎する
鶏がネギを背負つて
鍋にとびこんできたら
さぞ君は嬉しからう
だが何事もさうお誂へ向きにはいくまい、
君は新しい言葉、新しい形式を
鐘と太鼓で探しに行つたらいゝ、
我々にはそんな暇がない
我々は今日の問題について
今日の言葉をもつて歌ふのだ、
若いプロレタリア詩人よ、
我々は彼等のやうに
言葉に対して宿命論者であるな、
彼等は千万年もドモれ、
我等は
日本語に良きリズムの花を咲かせよ
我等はすべて
行進曲《マーチ》風に歌へ。


鶯の歌

それを待て、憤懣の夜の明け放されるのを
若い鶯たちの歌に依つて
生活は彩どられる
いくたびも、いくたびも、
暁の瞬間がくりかへされた
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
だが、唯の一度も同じやうな暁はなかつた、
さうだ、鶯よ、君は生活の暗さに眼を掩ふなかれ
君はそこから首尾一貫した
よろこびの歌を曳きずりだせ
夜から暁にかけて
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
新しい生活のタイプをつくるために
枝から枝へ渡りあるけ
そして最も位置のよい
反響するところを
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
谷から谷へ鳴いてとほれ
既にして饑餓の歌は陳腐だ
それほどにも遠いところから
われらは飢と共にやつてきた
悲しみの歌は尽きてしまつた
残つてゐるものは喜びの歌ばかりだ。


幼稚園を卒業し給へ

続け、私の勝利の歌に、
君の歌が、
君の歌に、また私の歌は引継がれる
そして今日我々はバンザイを
揃つて叫ぶことに躊躇するな、
おゝ、友よ、私と共に
ブラボーを絶叫しよう、
君や我々は自分の純情をまもるために
実に立派な狡猾さをもつてゐる、
この狡猾さを
誇示するときに
あらゆる敵はまた好敵手として
敵の狡猾さをもつて立ち現はれる、
古い狡猾に対するに
新しい狡猾さをもつて答へてやるとき
我々の微笑もまた
彼等の眼には鬼のやうに恐ろしく見えるだらう、
更に我々は
この微笑をしだいに
憎悪の表情にかへてゆくとき
彼等の狡猾さは
単なる小賢しさであることを暴露しつゝ
最後の決戦を我々に向つて挑《いど》む
敵の千の表情と
万の感情の種類とを、
我々は我々のものとしなければならない、
単なる純情といふものが、
いかに愚劣であるかといふことに
気づいた瞬間
我々は始めて
戦術家の仲間入りができたときだ、
早く我々はこれらの
幼稚園を卒業しろ、
狡猾、悪行、憎悪、大胆、横柄、執拗
あらゆるこれらの敵のものを
我々のものと、財産としろ、
我々は彼等に
身をもつて接近しなければならない、

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