小熊秀雄全集−5
詩集(4)小熊秀雄詩集2
小熊秀雄


III


茫漠たるもの

茫漠たる不安のために
私は必死となる
野であり、山であり、村落であり、海であり、
都会であり、村であり、空中であり、
地下道である。
すべての上に住み、
すべての中に住む、
そして何処にも不安がある、
そしてその不安を私の力で埋めようとする、
私はそれが出来るか、
私は知らない、
簡単明瞭な私の答へよ、万歳、
いま私は仕事の最中
突然衝動的に一米突とびあがる、
この異様な感動は
いつたい私の脳の
何番目の抽出《ひきだ》しにあつた奴か、
私は今それを調べてゐる、
抽出しにはかう貼紙がされてゐる、
――匂ひはロマンチック、
――性質はプロレタリア、
それでよし、それでよし
私の精神の処方箋、
私は単なる掃除人のやうであつていゝ
右から左へ、
精神を移す、
悪臭ある汚穢なるもの、
喧噪なるもの、不自然なるもの、
雑多な性質と、無性格、
天を掴む飛躍と、地をさらふ脱落
私のひとふきの喇叭に
あらゆる素材よ、飛んで来い、
そして美事に整列してくれ、
――宿命はつらいし、
――運命は信じ難い、
そのことだけを考へても
すぐ二三時間は経つてしまふ、
それを喜べ、
喜ぶことは良いことである、
私の絶望上手は、
精神の貧しさを悲しんでゐる、
高邁な精神には縁のないことを
つくづく考へる、
愚劣な精神の労働にも
異常な感動を覚えることはどうしたことか、
その時生き甲斐をかんじ
そのとき茫漠は去り、
友の哀れむべき精神の工場から
濛々と不安のけむりが
立ちあがつてゐるのを見る、
あゝ、その煙りは昼は灰色にみえ
夜は赤く美事に空に映つてゐる、
友は知らない、
その美しさを、
私だけがそれを見てゐる
私の美しさは私が知らない、
だが友達がそれを見てゐてくれるやうに、
友よ、たがひに信じよう、
恐るべき時代に生れ合したことを――、
歴史の空白を
吐息と、われらが糞尿と
言葉の塵芥と、血と、
むなしい労働と、小さな反抗とで埋めよう、
すべて意味深し、
それでよし、
私は誰よりも軽忽でありたい、
私は我等の勝利の万歳をまつ先に叫ぶ、
私は偉大な唖呆の役を買ふ、
水蒸気は濃霧だ、
その中に我等の意志は停船してゐる、
不安は霧だ、混濁だ、
この茫漠たる中で
君は化粧する時間など持つな、
ただ君の警笛のために
君の咽喉《のど》のために
絶叫する機会を与へてやれ、


まもなく霜が来る

さまよへ私の魂
春から冬までたどりつけ
私は季節の渡り者
髪は女のやうに乱れ、
こゝろもまたそのやうに乱れる、
そして男の中に、男と生れたことが
幸福であるか
ふしあはせであるかわからない、
もし良い世界がやつてきたら
私のやうな女性的なものは
なんの必要もないだらう、
ただ今はあらゆる男たちも
女でさへも
尚男性的に
生活に憤らねばならない
魂を怒りに勃発させることは
一人でも多い方がいゝのだから、
いくたびも春から冬まで
さまよふ
甘やかされてゐる男のために
罰はいつぺんにやつてくる、
我々はそれを怖れよ、
生活の中から正しい答へを
ひき出さなければならない
もう間もなく霜がくる、
葉は凍えようとしてゐる、
伊達《だて》なマントは綺麗だ
だが包まれた体ははげしくふるへてゐる、


ヴォルガ河のために

ヴォルガ河よ、
わが友よ。
流れよ
私は君を見たこともなければ
また君の流れの響をきいたこともない
ただ君が悠々たる水のかたまりを
陸続として
どこからともなく下流にむかつて
押しだしてゐることを知つてゐる、
しかも君は我々の住む同じ星の下にあつてである、
星、瞬くものは数億であつて
君の流れの響もまた無限である、
ヴォルガよ、
春はこゝに一片の花を押し流して
岸辺、岸辺に、その花を寄せ、
また岸から引離して
水と花びらとは気の向いたまゝに
連れ立つて行くであらう、
そして君の水面をすべる船には
見るからに質朴で頑丈な船人が
じつと水面をいつまでも見ながら
あるときは君にさからひ、
あるときは君に柔順であるだらう、
もりあがるヴォルガの感情
それに答へ得たところの
こゝに平凡な様子をした男が
偉大な河に竿さして
降るのを私は想像する、

あゝ、ヴォルガ河よ、
君はかつて幾度か裂けたであらう、
君はきつと怒りとウメキのために
立ちあがつたであらう、
あの時銃は沈み
河底の泥に今でも深く突立つてゐる
ムセ返る火薬の匂ひは
君の流れの上に
かげらふのやうに漂つた
うなだれて逃げる百姓の群を追つて
肥えた馬にのつた騎兵の一隊は
ヴォルガの岸辺で百姓達を
ことごとく滅ぼしてしまつたであらう、
そのときヴォルガよ、
お前は、それらのことを目撃した、
お前は怒つた、
歴史を流す河として
さまざまの事実を正しく反映した、
いまヴォルガ河よ、
沈着な河として
私達の喜びをお前へ披露することができる、
岸に倒れた百姓は
ロシアの百姓であつて
また決してロシアの百姓ではなかつた、
世界の百姓として――、
ヴォルガ河を枕として永遠に眠つた。
すでにして月は
イルミネーションとして君を飾る
君の沿岸に咲く野花の
なんとことごとく君の為めの花輪であらう、
すべてを冷静に眺めてきたヴォルガよ、
沈着な河、ヴォルガよ、
君はいま歴史を貫く国を
貫ぬいてゐる、
正義の河と言へるだらう。


泣上戸に与ふ

いまこそ悲鳴を精一杯あげる時だ、
いまこそ君の体から、肉の袋から
悲しみをすつかり
搾り出してしまふ時だよ、
誰にむかつて君は悲しむことを
はばかつてゐるのか――。
敵に向つて遠慮するのか、
それとも味方に向つて遠慮してゐるのか、
あゝ、それはお可笑しい、
遠慮するなどといふことは――。

曾つて荒々しく味方を
鼓舞した偉い人々は何処にゐるのか、
何をしてゐるのか、
何故――あの時のやうに
芝居の花路にさしかゝつて来ないのか、
民衆は、それを待つてゐる――。
それとも悲劇は敬遠し
喜劇だけは買つて出ようといふのか、
おゝ、同志よ、
階級の役者よ、
舞台をそのやうに選り好みしてはいけないのだ、
幕間なし、休憩なしの芝居のために
永久に
友よ、舞台を去る勿れ、
君よ、喜怒哀楽をぶちまけよ、
われらの運命、それは、
味方にも敵にも看視されるもの

悲壮を愛するものは悲壮に歌へ、
高く時代の煙りの中に立て
より多く煙りにむせべ、
けふの真実に悲しむのは
明日への用意のためだ、
悲しみの週間、まもなく終り、
その時沈黙をまもつてゐるものは
罪悪とならう、
その時こそあらゆる人々は
悲哀をうたはない、
だが今は精一杯悲しんでをいたらいゝ、
明日勇壮に歌ひたいために
私は悲しむ、
けふの真実を――。


私は接近する

かけ声をもつて
幾度勝利を約束し
幾度失敗したことであらう、
それでいゝのだ、
その為めにこそ
これら勝敗のめまぐるしさにこそ
私は生き抜くことに愛着をおぼえる、
その繰り返しのために――、
飾りたてた言葉をふりかざして
高らかに私は叫ぶ
愚鈍であつた今日一日の
生活のために唾をひつかける、
率直であり、聡明であつた日のために祝ふ、
たくさんの薔薇は咲いてゐる
だが私はその匂ひを嗅ぐひまをもたない、
私はそれが憤懣だ、
だが私はどうして薔薇を憎まれよう、
匂はぬ花へも私は鼻をもつてゆく、
私は行動的であり
攻勢的でありたい、
これらの態度を愛す、
あらゆるものは近づいて来ないだらう、
我々が近づいて行くのだ、
あらゆる未発見の
とりのこされた
遠慮勝な
逃げ去るものに
私は接近し、追つてゆけばいゝ、
突撃し、
私は言葉をふりかざして
これらの醜いもの、美しいもの、
味方をも、敵をも、
あらゆるものを捉へてゆけば満足だ、
そこには勝敗の悔はない、
手をふれるに先だつて
花弁《はなびら》が散らうと何事だらう、
私は少しも残念とは思はぬ、
時には無人の野をゆくごとくゆく、
私は行動に
愛着をはげしくおぼえるだけだ、
生々《なまなま》しい顔をした友よ、
生き抜けよ、
君の期待が
君の処に飛び込んで来るのを待つな、


愛する黒い鳥よ

気取つた、高慢ちきな、
常識的な世界に住む人々の
窓へ顔つきだして
醜い黒い鳥は悪態を吐いた、
この鳥の友情は理解されない、
――それで結構、
さういつて鳥は
最後の毒舌を吐いて飛んでゆく、
愛する黒い鳥よ、
お前は何処に飛んで行つた
私もお前の世界へ行かう。
あらゆる人間の言葉を
忘れてしまひにお前に尾《つ》いてゆかう、
そこではあらゆる激越な正義的な、
公然たる主張をゆるされるところ
すばらしいかな、
お前の国のお前の言葉を私は理解した、
私はお前のやうに歌はう、
曾つて人間界で使つたことのないやうな
独創的な言葉をもつて歌ふために
人間の世界に帰つて来よう、
そこでは私の歌が
何の内容もないといふ批評を受取りに、
そしてお前のやうに
人々の窓を片つ端から覗きあるかう、
ウルシのやうに黒い、
ただそのことだけで私は沢山だ、
光沢のある羽を見せびらかすだけで沢山だ、
鳥よ、
あいつらはお前や私のやうな
光沢をもつてゐない人種だ、
灰色の外套を着て、
灰色の帽子をかぶつて、
灰色の町へ遊びにでかける、
灰色の議論をして、
灰色のベッドに潜り込む、
彼等は色彩のついた夢をみる本能も
力量ももつてゐない、
彼等はだんだんと
精神の痴愚の世界へと
ずるずると陥ちこんでゆく
鳥よ、
お前と私とは単純な不吉な、
理解されない叫びをあげつゝ
彼等の死を祝ふさ、
歌へ、
巨大なわが精神の羽ばたきよ、心臓よ、
お前醜い鳥よ、
光沢のある歌うたひよ、
お前と私とは運命の予言者であり、
傍観者であること恥ぢない、


宇宙の二つの幸福

地球は母であり、
母のふところよ、
インテリゲンチャよ、
だが君は真の母の愛を知らない、
自分で子守歌をうたひ、
自分でスヤスヤと眠つてゐる、
世話のいらない
お前インテリゲンチャよ、
あゝ、お前は何か悪い夢を見たのか、
何をしくしく泣いてゐるのだ、
労働者たちは仕事場で
鉄に一つの打撃を喰らはした
そのときケチな悲しみは飛んでしまつた、
綿々としてつきない
インテリゲンチャの苦痛の声に
労働者たちはただ苦々しさと
軽い嫉妬を感じてゐるだらう、
――全く君等は幸福な奴等だと、
宇宙には今たつた二つの
幸福だけが残つた
一つは君等の『泣いてゐる時間』と
地球の外から
二つの階級の争ひを見物してゐる星と、
そしてインテリゲンチャ達は
涙で光つた眼をして星をみあげ
ボードレール風に歌ふだらう
――ある夕べ、われ星に云へり
 汝ら幸ひに見えじ、と
あらゆるものを否定し去つて
その跳《は》ねかへりの苦しみを
背負こんで泣いたらいゝ、
人間が生きるかぎり
夢はつづくから、
夢の断たれる日まで
幸福に泣いてゐたらいゝ、


君の心臓に風邪をひかせろ

手を拡げて立つてみろ
君はまるで
聖十字架そつくりぢやないか、
宿命論者臭く
ものおもひに沈んでゐる
智識階級は一米突実現をあるいた、
労働階級が十米突歩るく間に、
植物的諦《あきら》めの若さは
東洋的若さだ、
私は動物的若さをもつて
喰らひ、遊び、労働し、恋し、
そして闘ふ、
君も恋し給へ、
心臓が強くなるよ、
シャンと頭をあげて路をゆく
習慣もつけたまい、
市街戦の敵は高い窓にもゐる、
バルザック風に堂々と肩をそびやかし、
バイロンのやうに火薬をもてあそべ、
ロダンのやうに軽々と女をもちあげよ、
あらゆる動物的
あくどさのために友よ、乾杯しよう、
トルコ風呂の湯気の中の
ブルジョアジイ、
溶鉱炉の傍のプロレタリアート、
労働者のやうに
動物的に肉体を酷使できる
インテリゲンチャがゐるとすれば偉い、
これらのインテリも稀《まれ》にゐる、
だが多くは労働者への
秋波《ながしめ》で一生を終り
自分で気が済んで死んでゆく、
怖るべき
軽蔑すべき
階級的良心の合理化よ、
真に労働としての
智識の行動化のために
もつとも完全なインテリ的であれ、
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