お前の新しい歌と合唱ができないのか――と
すると波はわめいた、

――アンデルセンの人魚を見れ、と

その時人魚は海の中から現れた、
月に照らされながら――、
彼女は海の中の現実を見落した、
しづかに陸に上つてきた、
彼女の欲するものは
未知の世界であつた、
憧れの地上であつた、
彼女は海の中では
到底みることのできない
美しい花や、樹木や、鳥や、人間が
どのやうな形のものか知りたかつた、
人魚は陸を歩るいた、
しかし地上とは――、
到底想像してゐたほど美しくなかつた、
また到底堪へることができないほど
痛いものであつた、
一足ごとに足の裏は
茨か針を踏むやうに痛んだ、
私も人魚のやうに
生活の苦痛を踏まう、
未知の世界を憧れよう、
それは未知の世界を
海の中にではなくて
陸の上に求めよう、

波よ、私にかぶされ、
お前の塩分の為めに
私の身体はピンと引き緊められようから、
我は人魚のやうに――、
地上よ、
現実よ、
新しいお前の針を踏まう
私はお前に激烈に愛されよう。
私は激烈にお前を愛してやらう。


階級の教授

なんて私は私を蔑《さげす》むことが
不足してゐるのか、
そのことのできない間は
私の生活は
私の芸術は
犯罪にすぎない、
おゝ、人間は
なんて嘘をいふことに
馴れすぎてしまつたのか、
あいつの小説は
なんて難解極まるのだ、
なぜ我々に
やさしく運命に就いて
解説を与へないのか、
なんて表現は
検事の論告に馴れ切つてしまつたのか、
なんて、なんて馬鹿々々しい、
菜の花から油がとれることを
忘れてしまつたのか、
彼は土臭い人間のために、
たつたひとことでもしやべつたか、
刑務所の中の物語りはもう沢山だ、
いつまでパルチザン物語りでもあるまい、
ドニヱブロストロイの
掘鑿機のひゞきはやんで
流れはとつくに
海に注いでゐる、
たゞ我々の国の人間の精神は
貫通されてゐない、
真実は
嘘の岩石の間を
辛《から》うじてセセラギのやうに流れてゐる、
可哀さうな
細々とした真実よ、
おゝ、私は個人主義のために
立派に苦しんでゐる、
他人を教唆する権限を
誰から与へられたか
彼は知らない
それは怖ろしいことだ、
だれが君を階級の教授に任命したか、
だれが辞令をいつもつてきたか、
君は勝手に教壇に立つてゐるだけだ、
蔑《さげ》しめよ、
自己を、
教へる資格があるかどうか
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