書の中に書いてないから
聖書は私の母ではない
彼は私を抱き緊めることができない
歴史はまだまだ聖書に
かかれてゐない偉大な不善を
われわれの手によつて犯すだらう
然もその不善は
あくまで独創的な
プロレタリアートのそれである。


漫詩 親孝行とは

悪い紙芝居屋とあつたものだ。
子供を集めて
言ふことがふるつている
『諸君
 子供諸君。
 お父さんとお母さんは
 夫婦だよ――。』
子供の中にも物識りがゐる
『きまつてらあ、
 夫婦だから
 夫婦喧嘩をやるんだい――』
『諸君、
 賢明なる
 子供諸君。
 それでは親孝行とは
 どうするか知つてるか。』
『知つてらい、
 今は不景気だから
 三杯飯を喰ひたけりや
 二杯で我慢をしてをくのが
 親孝行だい――。』
『諸君、
 最も賢明なる
 プロレタリアの子供諸君。
 紙芝居の小父さんが
 褒賞《ほうび》をやらう
 欲しいものは手を上げろ
 ――よろしい
 それでは早速飴をやらう
 家へ走つて行つて一銭貰つて来い。』


散文詩 鴉は憎めない

 私は朝の鴉を愛する。英吉利《いぎりす》風《ふう》のフロックの、青年紳士の散歩者のやうに、いか
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