た、『現実』に「綱渡りの現実」を、『文芸』に「移民通信」を、『一九三四年詩集』に「プラムバゴ中隊」を発表するなど、精力的に活動する。また、この頃「池袋モンパルナス」の住人の一人である洋画家寺田政明との交友が始まり、デッサンの手ほどきを受ける。(「池袋モンパルナス」については宇佐美承による同題のノンフィクションに詳しい。)
一九三五(昭和十)年 五月に『小熊秀雄詩集』を耕進社から、六月には長編叙事詩集『飛ぶ橇』を前奏社から刊行。自ら「しゃべり捲くれ」と吠える詩人は「生涯中に身の丈ほどの詩集」を積み重ねるという目標に従って精力的な創作を続け、「ヴォルガ河のために」(『詩精神』五月号)「私と風との道づれの歌」(『詩精神』七月号)などの諸作を次々に発表する。一一月、詩人と漫画家による諷刺誌『太鼓』の同人となる。
一九三六(昭和十一)年 「しゃべり捲くれ」をきっかけに新定型詩を標榜する北川冬彦らと対立。奔放な詩風が詩壇に影響をもつようになる。この年、「パドマ」(『詩人』二月号)「シャリアピン」(『詩人』三月号)「馬車の出発の歌」(『詩人』八月号)などを発表。また、「文壇諷刺詩」を読売新聞に連載す
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