うといけないと思うて、その夜の十時にメルボルン男の所へ行って断り状を置いて来た[#「断り状を置いて来た」に傍点]。
 事件はこれで落着しなかった。ファラデーの友人はこの話をきいて怒り、ファラデーの知らない間に、この面会の顛末を「フラザー雑誌」に出し、それがまた十一月二十八日の「タイムス」に転載された。英王ウイリアム四世も棄てて置けなくなって、仲裁にはいられ、十二月二十四日にファラデーは三百ポンドの年金[#「三百ポンドの年金」に傍点]を受けることになった。
[#改ページ]

      研究と講演


     三三 研究室で

 ファラデーは、まず研究せんとする問題を飽くまで撰んで、それからこれを解決すべき実験の方法を熟考する[#「実験の方法を熟考する」に傍点]。新しい道具が入用と思えば、その図を画いて、大工に言いつける。あとから変更するようなことはほとんどない。またもし実験の道具が既にある物で間に合えば、その品物の名前を書いて、遅くとも前日には助手のアンデルソンに渡す。これはアンデルソンが急がなくて済むようにとの親切からである。
[#「王立協会内のファラデーの実験室」の挿絵(fig46340_03.png)入る]
 実験の道具がすっかり揃ってから、ファラデーは実験室に来る。ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と揃っているか、ちょっと見渡し、引出しから白いエプロンを出して着る。準備したものを見ながら、手をこする。机の上には入用以外の物は一品たりとも在ってはならぬ。
 実験をやりはじめると、ファラデーは非常に真面目な顔になる。実験中は、すべてが静粛[#「静粛」に傍点]でなければならぬ。
 自分の考えていた通りに実験が進行すると、時々低い声で唄を歌ったり、横に身体を動して、代わるがわる片方の足で釣合をとったりする。予期している結果を助手に話すこともある。
 用が済むと、道具は元の所に戻す[#「元の所に戻す」に傍点]。少くとも一日の仕事が済めば、必ずもとの所に戻して置く。入用のない物を持ち出して来るようなことはしない。例えば孔《あな》のあいたコルクが入用とすると、コルクとコルク錐《きり》を入れてある引出しに行って、必要の形に作り、それから錐を引出しにしまって、それをしめる。どの瓶《ビン》も栓《せん》なしには置かないし、開いたガラス瓶には必ず紙の葢《ふた》をして置く。屑《くず》も床の上に散して置かないし、悪い臭いも出来るだけ散らさぬようにする。実験をするのに、結果を出すに必要であるより以上な物を一切用いないように注意した[#「結果を出すに必要であるより以上な物を一切用いないように注意した」に傍点]。
 実験が済めば、室を出て階上に登って行き、あとは書斎[#「書斎」に傍点]で考える。この順序正しいことと、道具を出来るだけ少ししか使わないこととは、ファラデー自身がしただけでなく、ファラデーの所で実験の指導を受けた者にも、そうさせた[#「そうさせた」に傍点]。そうさせられた人からグラッドストーンが聞いて、伝に書いた。それをそのまま著者は紹介したのである。
「自然界に適当な質問をしかけることを知っている人は、簡単な器械でその答を得ることをも知っている。この能のない人は、恐らく多くの器械を手にしても、良い結果は得られまい」というのが、ファラデーの意見である。従ってファラデーの実験室は能率《エフィシェンシイ》が良くは出来ているが[#「が良くは出来ているが」に傍点]、非常に完備しているとはいえなかった[#「非常に完備しているとはいえなかった」に傍点]。
 かようにファラデーは、うまい実験の方法を考えて、ごく簡単な器械で重大な結果を得るということを努めたので、実験家だからというても、毎日朝から夜まで実験室に入り浸りで、手まかせに実験をした[#「手まかせに実験をした」に傍点]人ではない。戦略定って、しかる後始めて戦いに臨むという流儀である。後篇の電磁気感応の発見の所で述べるように、途中に日をおいて実験して[#「途中に日をおいて実験して」に傍点]いるので、この間によく考え、器械の準備をさせて置いたのである。

     三四 研究の方針

 ファラデーの研究した大方針は天然の種々の力の区別を撤廃して一元に帰させよう[#「天然の種々の力の区別を撤廃して一元に帰させよう」に傍点]というのである。
 それゆえファラデーが喜んだのは、永久ガスが普通の蒸気と同様に[#「同様に」に傍点]、圧力と寒冷とで液化した時である。感応電流が電池から来る電流と同じく[#「同じく」に傍点]火花を出した時である。摩擦電気や電気|鰻《ウナギ》の発する電気が、電池から来る電気と同様な[#「同様な」に傍点]働きをした時である。電池の作用はその化学作用と比例する[#「比例する」に傍点]のを見た時である。偏光を重ガラスに送ったのが磁気の作用[#「作用」に傍点]で偏光面が廻転した時である。酸素やビスマスも磁性のあることを知った時である。
 ファラデーは研究している間、大きな紙に覚え書きを取って行き、実験が終るとそれを少し書きなおし、一部の順序を換えたり、不要の箇所を削ったりし、番号のついた節を切る[#「番号のついた節を切る」に傍点]。これで論文が出来あがる。かかる疑問を起して[#「かかる疑問を起して」に傍点]、かくかくの実験を行い[#「かくかくの実験を行い」に傍点]、これは結果が出なかったということまで書きつづり[#「これは結果が出なかったということまで書きつづり」に傍点]、最後に良い結果の出た実験を書く[#「最後に良い結果の出た実験を書く」に傍点]。

     三五 学者の評

 デ・ラ・リーブは「ファラデーは予め一定の考案を持つことなしに、器械の前に立って研究を始めたことはない。また他の学者がやる様に、既知の事実をただ細かく[#「ただ細かく」に傍点]実験して見て、定数を測定するというような事もしないし、既知の現象を支配する法則を精しく定め[#「精しく定め」に傍点]ようとした事もない。ファラデーのは、これらとは非常に異なる方法で、神来によるかのごとくに既に研究された方面とは飛び離れ、全く新生面を開く大発見に[#「全く新生面を開く大発見に」に傍点]と志した。しかしこの方法で成功しようというには一つの条件が必要で、それは即ち稀世の天才たる[#「稀世の天才たる」に傍点]を要するということである。ファラデーにはこの条件が満足されたのだ。ファラデーは自分でも認めておったように、想像力の非常に豊富な人で[#「想像力の非常に豊富な人で」に傍点]、他の人が気もつかない様な所までも、平気で想像を逞しくして実験にかかったのである。」というた。
 またケルヴィン男の言葉にも、「ファラデーは数学を知らなかった。しかし数学で研究される結果を忖度《そんたく》し得た。また数学として価値のあるような結果を清楚な言葉[#「清楚な言葉」に傍点]で表わした。実に指力線[#「指力線」に傍点]とか磁場[#「磁場」に傍点]とかいうのは、ファラデー専売の言葉であって、数学者も段々とこれを用いて有用なものにした。」

     三六 実験して見る

 ファラデーはいかによく書いたものでも、読んだだけでは、しっかり[#「しっかり」に傍点]と、のみ込めない人であった。友人が新発見の話をして、その価値や、これの影響いかんというようなことを聞かされても、ファラデーは自分で実験して見たものでなければ、何とも返事が出来なかった。
 多くの学者は学生や門弟を使うて研究を手伝わせる[#「手伝わせる」に傍点]が、ファラデーにはこれも出来ない。「すべての研究は自分自身でなすべきものだ」というておった。
 ロバート・マレットが話したのに、十八年前にムンツの金属という撓《たわ》み易いが、ごく強い金属を硝酸第二水銀の液に漬けると、すぐ脆《もろ》い硬い物になることをファラデーに見せようと思って持って行った。ファラデーが早速この液を作ってくれたので、自分がやって見せた。ファラデーの眼前で[#「眼前で」に傍点]、しかもすぐ側で[#「すぐ側で」に傍点]、やって見せたのだから、まさか疑ったわけではあるまい。しかしファラデーは見ただけでは承知できない[#「承知できない」に傍点]と見えて、自分でまたやり出した[#「またやり出した」に傍点]。まずその金属の一片をとって、前後に曲げて見、それから液に漬け、指の間に入れて破って見た。この間ファラデーは黙ってやっておったが、漸《ようよ》う口を開いて、「そうだ、軟《やわらか》いが、なるほどすぐに脆くなる。」しばらくしてこれに附け加えて、「そう、もっと何か、こんな事は無いでしょうか。」「新しい事は、これ以外には別にない」と言うたら、ファラデーは多少失望して見えた。
 ファラデーがある事実を知るのには、充分満足するまでやって見ることを必要とした。それですっかり判ると、その次にはこれを他の事実と結んで[#「結んで」に傍点]、一つにして[#「一つにして」に傍点]考えようと苦心した。実験室の引出しの内に在った覚書に、こんなのがあった。
[#ここから2字下げ]
    四段の学位
ある新事実の発見。
この新事実を既知の原理にて説明すること。
説明出来ないような新事実の発見。
その新事実をも説明し得るような一層一般的なる原理の発見。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]M、F、

     三七 実験に対する熱心

 ファラデーの実験に対する熱心[#「熱心」に傍点]は非常なもので、電磁気廻転を発見したときに、踊って喜んだことは、前にも述べた通りである。光に対する磁気の作用をヂューマに見せたときも、実験がすむと、手をこすって、眼は火のように輝き、これを自分が発見したという喜ばしさが、ありありと見えたという話である。
 自分の発見だけではない、人の発見した事でも、新しい実験は[#「新しい実験は」に傍点]非常に喜んだ。ヘンリーがアメリカから来て、キングス・カレッジで他の科学者と一緒になったとき、皆が熱電堆から出る電気で火花を飛ばそうと試みた。ヘンリーがそれをやって成功したとき、ファラデーは小児のように喜んで、「亜米利加人《ヤンキー》の実験万歳」と怒鳴った。それからプリュッカーがドイツから来て、王立協会で真空管内の放電に磁石を働かせて見せたときも、放電の光が磁石の作用に連れて動くのを見て、ファラデーはそのまわりを踊って喜んだ。
 またジェームス・ヘイウードがイーストパンで烈しい雷雨[#「烈しい雷雨」に傍点]のときに、偶然ファラデーに出逢った。ファラデーは「丁度協会の塔に落雷するのを見た」といって、非常に喜んで[#「非常に喜んで」に傍点]おった。

     三八 発見の優先権

 発見の優先権については、ファラデーは非常に重きを置いた。ファラデーのように、誠心誠意の人でもあり、また感覚の鋭敏な人でもあり、かつ初めに苦しい経験を甞《な》めた人でもあり、また他方で巨万の富をすてて科学の発見を唯一の目的とした人の事であるから、もっともなことである。初めの苦しい経験[#「苦しい経験」に傍点]というのは、デビーの助手をしておった時代に、電磁気廻転につきてウォーラストンとの間に行き違いがあり、その後に塩素の液化の発見についてデビーとの間にごたごたがあった事で、これがため、ローヤル・ソサイテーの会員の当選を危からしめた程である。
 この後、ファラデーは研究を発表する[#「発表する」に傍点]時に、月日を明記[#「月日を明記」に傍点]した。ところが一八三一年に、電磁気感応を発見したときにも、また不思議なことで行き違いが起った[#「行き違いが起った」に傍点]。ファラデーの発見は同年の九月から十月の間のことで、これを十一月二十四日にローヤル・ソサイテーで発表した。それより二週間を経て、概要を手紙に書いてパリのハセットの所へ送った。この手紙が行き違いを生ずる源となった。ハセットはこの手紙を十二月二十六日にパリのアカデミーに送ったが、その二十八日の新聞ル・タンに掲
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