事に[#「応用がかった事に」に傍点]近づいてくると、そこで止めてしまい[#「そこで止めてしまい」に傍点]、他の新しい方面に向って進んで行った。そんな訳で、専売特許なども一つも取らなかった[#「専売特許なども一つも取らなかった」に傍点]。
一一 媒介物の作用
この論文の中に、ファラデーは次のような事も書いて置いた。
「針金は磁気よりの感応で電流を生ずるのであるから、恐らくある特別の状態[#「特別の状態」に傍点]にあるらしい。
「これを友人とも相談して、エレクトロトニックの状態[#「エレクトロトニックの状態」に傍点]と名づけることにした。
「この状態は、その継続している間は別に電気的作用を示さない。しかし、コイルなり、針金なりが、磁石の方へ近づくか、または遠ざかる場合には、その近づくかまたは遠ざかりつつある間だけ[#「つつある間だけ」に傍点]、感応作用によりて、電流が通る。これはその間、エレクトロトニックの状態が高い方なりまたは低い方なりに変るからで[#「変るからで」に傍点]、この変化と共に電流の発生が伴うのである。」
元来ファラデーは、物と物とが相離れた所から直接に作用し合うというような考を嫌ったので、引力にしても斥《そ》力にしても、相離れた所から作用を及ぼすように見えても、実際は[#「実際は」に傍点]中間に在る媒介物[#「媒介物」に傍点]の内に起る作用の結果が、この形で現われるものだという風に考えた。
ファラデー自身が前に発見した電磁気廻転にしても、電流の通っている針金の周りの空間が、その電流のためにある作用を受けているとして考えられる。また磁極の周りの空間にも、例の磁気指力線があるとして考えられる。かように、たとい中間には眼に見える物体が無い場合でも、その空間にある媒介物[#「ある媒介物」に傍点]が存在し、これがある状態になっているものと考えられる。それゆえ針金を動かせば感応で電流が生ずる場合にも、またその針金の在る場所は、すでにある特別の状態[#「ある特別の状態」に傍点]になっているものと考えらるるので、ファラデーはこれにエレクトロトニックという名称をつけたのである。
一二 その他の研究
一八三二年の正月[#「一八三二年の正月」に傍点]には、ファラデーは地球の自転のために生ずる電流を調べようというので、十日にケンシントンの公園へ、十二および十三の両日はテームス河のウォータールー橋に行った。これらの実験の結果はすぐにまとめて、ローヤル・ソサイテーで発表し、後に「電気の実験研究」の第二篇[#「第二篇」に傍点]にした。
話が前に戻るが、一八三一年に電気感応の大発見をしたときに、ファラデーはまだ内職の化学分析をやっておったし、十一月まではローヤル・ソサイテーの評議員でもあったが、この外にもなお毛色の少し変った研究をしておった。
すなわち、振動する板面[#「振動する板面」に傍点]に関する論文と、光学上の錯覚[#「光学上の錯覚」に傍点]の論文とを出した。前のは、振動する板の上に細粉を撒いて置くと、砂のような重いものは面上の振動のない所に集り、これに反して、軽いリコポジウムのような物は、振動の最も強い所に集る。ファラデーはこの理由として、運動の激しい所には小さい渦動[#「小さい渦動」に傍点]が出来て、軽い粉はこれに巻き込まれるためだということを明かにした。また後の論文は、廻転せる車輪の歯の間から物を見るような場合に起る錯覚の議論で、今日の活動写真の基礎を開いたともいえる。
翌一八三二年[#「一八三二年」に傍点]にも、ファラデーは続いて種々の研究をした。静電気や、動物電気や、感応によりて生ずる電気。これらの電気はいずれも電池より出る電流と同様に化学作用をすることを確かめたのを手初めとして、どの電気も全く同一のものなることを確かめた[#「どの電気も全く同一のものなることを確かめた」に傍点]。今日では自明の事のように思われるが、その頃ではこれも重要な結果であった。これは一八三三年一月[#「一八三三年一月」に傍点]に発表したが、「電気の実験研究」の第三篇[#「第三篇」に傍点]になっている。
一三 電気分解
次にファラデーの取りかかった研究は、電流の伝導[#「電流の伝導」に傍点]の問題であった。
水[#「水」に傍点]は[#「 水[#「水」に傍点]は」は底本では「水[#「水」に傍点]は」]電流を導く[#「導く」に傍点]が、それが固体になって氷[#「氷」に傍点]となると、電流を導かない[#「導かない」に傍点]。これから想いついて、ある固体[#「固体」に傍点]とそれの溶解して液体[#「液体」に傍点]となった場合とでは、電流の伝導[#「伝導」に傍点]にどれだけ違いが起るかを調べた。その結果は、金属[#「金属」に傍点]だと[#「金属[#「金属」に傍点]だと」は底本では「金属だ[#「属だ」に傍点]と」]、固体のときでも液体のときでも、よく伝導してその模様に変りはない。脂肪[#「脂肪」に傍点]だと、固体のときでも液体のときでも、電流を導かない。その他の物体では、固体だと電流を伝導[#「固体だと電流を伝導」に傍点]しないが、液体に[#「液体に」に傍点]なると伝導する[#「伝導する」に傍点]。塩化鉛とか、塩化銀とかいうような化合物は、みなこれに属する。かつ液体になっていて、電流を伝導する場合には、その物が分解して電極に集ること[#「電極に集ること」に傍点]も確かめられた。これらの結果は一八三三年四月[#「一八三三年四月」に傍点]に発表した。(「電気の実験研究」の第四篇[#「第四篇」に傍点])
ファラデーはなおも研究をつづけて、一定量の電気[#「一定量の電気」に傍点]が同じ液体内を通る場合には、いつも同じだけの作用をすることを確かめた。また液体が分解して電極に集るのは[#「電極に集るのは」に傍点]、電極に特別の作用があって、液体の内から物体を引きつけるためではない。物体が液体になりているとき、既に二種の物に分解している[#「二種の物に分解している」に傍点]ので、電流の通るときにその方向と、反対の方向とに流れ動く[#「流れ動く」に傍点]ため、電極に集るのであることを確かめた。これは一八三三年六月[#「一八三三年六月」に傍点]に発表した。(「電気の実験研究」の[#「「電気の実験研究」の」は底本では「「電気の実験研究の」の」]第五篇[#「第五篇」に傍点])
次に別種の問題に着手し、金属がガス体の化合をひき起すことを研究した。これは一八三四年正月[#「一八三四年正月」に傍点]に発表した。(「電気の実験研究」の第六篇[#「第六篇」に傍点])
その年の正月[#「正月」に傍点]の終りから二月[#「二月」に傍点]にかけて、電気分解[#「電気分解」に傍点]に関する大発見が発表された。それは「電気の実験研究」の第七篇[#「第七篇」に傍点]になっているが、まずファラデーは電池の電極を、単に電流の入り口と出口に過ぎないからとて、アノード(昇り道)およびカソード(降り道)という名称[#「名称」に傍点]をつけ、また液体内で分解している物に、アニオン(昇り行く物)およびカチオン(降り行く物)という名前[#「名前」に傍点]をつけた。
ファラデーは新しい発見をなし、命名[#「命名」に傍点]の必要を感ずると、当時博学者として有名であったホェーウェルに相談するを例とした。上の命名もこのホェーウェルが案出したものである。
次に、電流の強さを水の電気分解を用いて測定[#「水の電気分解を用いて測定」に傍点]することにした。これで電流計が出来た。そこで一定量の電気[#「一定量の電気」に傍点]を用いて、種々の液体[#「液体」に傍点]を分解して電極に現われ来る分量[#「分量」に傍点]を測定した。これで電気分解の定律[#「電気分解の定律」に傍点]を発見した。
ファラデーの書いた中には、「電極に現われて来る割合を表わす数を、電気化学当量[#「電気化学当量」に傍点]と呼ぶことにする。しからば水素、酸素、塩素、ヨウ素、鉛、錫はイオンで、前の三つはアニオン。後の三つはカチオンである。その電気化学当量はほとんど一、八、三六、一二五、一〇四、五八である。」
かくして、今日ファラデーの定律と呼ばれている電気分解の定律は発見された。
次にこの定律を電池に応用した結果を一八三四年六月[#「一八三四年六月」に傍点]に発表した。(「電気の実験研究」の第七篇[#「第七篇」に傍点])
これにより再び感応電流の研究にもどり、電流を切るときに生ずる火花から電流が自己感応[#「自己感応」に傍点]をすることを発見した。これは同年の十一月十三日[#「十一月十三日」に傍点]で、翌日次の様に書いた。「電流の各部分は感応によりて同一の電流の他の部分にも作用し、かつ同一の針金にも、また同一の針金の同一の部分にも作用する」と。
これらは一八三四年末にまとめて、翌年一月[#「翌年一月」に傍点]に発表し、「電気の実験研究」の第九篇[#「第九篇」に傍点]になっている。
それからまた電池[#「電池」に傍点]の研究に戻った。結果は同年六月[#「同年六月」に傍点]に発表した。(「電気の実験研究」の第十篇[#「第十篇」に傍点])
一四 静電気の研究
かように、初めから満五年にもならない間に、これだけの大発見が続いて出たのは、実に驚くの外はない。そのためもあろうが、ファラデーは幾分元気が衰えて来たように見えた。それゆえ以前ほどの勢いは無くなったが、それでもまだ静電気[#「静電気」に傍点]に関する大発見をした。
すなわち、一八三五年[#「一八三五年」に傍点]には静電気の研究に取りかかり、静電気の感応も中間の媒介物[#「媒介物」に傍点]によるのであろうと思って、調べ出したが、中途でフッ素[#「フッ素」に傍点]の研究に変り、夏になるとスイスに旅行したりして休養し、前後八個月ばかりも中断してから再び静電気の研究に戻った。
「先ず電気は導体の表面に在るのか、または導体と接する媒介物(絶縁物)の表面に在るのか」という問題から始めて、ガラスのような物を取り、正負電気の間に置いたとして、「感応の現象があるから、電気は導体の方には無く、かえって媒介物の方にあるのだ[#「媒介物の方にあるのだ」に傍点]」と書いた。十二月[#「十二月」に傍点]にはまたフッ素を研究しかけたが、断然止めようと決心し、その四日[#「四日」に傍点]からは静電気のみの研究に没頭した。最初は静電気の起す作用を、電気分解のときに電流の流れ行くのに較《くら》べて考えておったが、数日後には磁気が指力線に沿うて働く[#「磁気が指力線に沿うて働く」に傍点]のと同様だと考えついて、
「空気中における感応は、ある線に沿うて[#「ある線に沿うて」に傍点]起るので、多分実験上、見出し得るだろう」と書き、五日過ぎて[#「五日過ぎて」に傍点]からは、「電気は空気、ガラス等にあっては、みな両極性[#「両極性」に傍点]を有して存在する。金属は導体なるがために、かかる状態を保持することが出来ない」と書いた。
かように、電気は導体に在るのではなくて、媒介物たる絶縁物内に正負相並んで存在し[#「絶縁物内に正負相並んで存在し」に傍点]、これが導体に接する所[#「これが導体に接する所」に傍点]、いわば境界の所で[#「いわば境界の所で」に傍点]、正なり負なりの電気として現われる[#「正なり負なりの電気として現われる」に傍点]、ということを発見した。
またファラデーの実験として有名なのに、十二フィートの四角な金網の籠《かご》を作り、これに非常に強い電気をかけても、その内には[#「その内には」に傍点]少しも電気作用が無い[#「無い」に傍点]というのがある。これもこの頃やったので、これらの研究は一八三七年十二月[#「一八三七年十二月」に傍点]と同三八年二月[#「同三八年二月」に傍点]とに発表し、「電気の実験研究」の第十一[#「第十一」に傍点]および第十
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