年十一月にも」に傍点]、電流を通じた針金が近傍にある他の針金に作用を及ぼしはせぬかと考えて、これを電流計につないで、いろいろ調べて見たが、やはり何の結果も出て来なかった[#「何の結果も出て来なかった」に傍点]。その後も、あれやこれやとやっては見たが、何時も結果が出て来なかった。
それでも失望しないで、適当な実験の方法を見出せないためだと思って、繰り返し繰り返し考案をめぐらした。伝うる処によれば、この頃ファラデーは、チョッキのかくしに電磁回線の雛形を入れて持っていた[#「電磁回線の雛形を入れて持っていた」に傍点]そうで、一インチ位の長さの鉄心の周囲に銅線を数回巻きつけたもので、暇があるとこれを取り出しては、眺めていろいろと考えていたそうである[#「眺めていろいろと考えていたそうである」に傍点]。なるほど、銅線と鉄心。一方に電流が流れると他方に磁気を生ずる。反対に出来そうだ。磁気を鉄心に与えて置いたなら、銅線に電流が通りそうである! しかし、これは幾回となくファラデーがやって見て、何時も結果が出なかったことである[#「結果が出なかったことである」に傍点]。
否、ファラデーだけではない。他の学者もこれを行って見たに違いない。ただファラデーのように、結果無しと書いたものが残っておらぬだけだ[#「結果無しと書いたものが残っておらぬだけだ」に傍点][#「結果無しと書いたものが残っておらぬだけだ[#「結果無しと書いたものが残っておらぬだけだ」に傍点]」は底本では「結果無しと書いたものが残っておらぬだげだ[#「結果無しと書いたものが残っておらぬだげだ」に傍点]」]。多分は、そう書き留めもしなかったろう[#「しなかったろう」に傍点]。フランスのアンペアやフレネルも、いろいろとやったことは確かだが、結果は出なかった[#「結果は出なかった」に傍点]。
七 アラゴの発見
ところが、これとは別に次のような発見が一八二四年に公表された。フランスのアラゴは良好な羅針盤を作って、磁針を入れる箱の底に純粋の銅[#「純粋の銅」に傍点]を[#「純粋の銅[#「純粋の銅」に傍点]を」は底本では「鈍粋の銅[#「鈍粋の銅」に傍点]を」]用いた。普通ならば、磁針をちょっと動すと、数十回も振動してから静止するのだが、この羅針盤では磁針がわずか三、四回振動するだけで、すぐ止まってしまう。アラゴは人に頼んで、底の銅を分析してもらったが、少しも鉄を含んではいなかった[#「少しも鉄を含んではいなかった」に傍点]。
そこで、アラゴの考えるには、銅が磁針の運動を止めるからには、反対に銅を動したなら[#「銅を動したなら」に傍点]、磁針は動き出すだろうと[#「磁針は動き出すだろうと」に傍点]。すなわち、磁針の下にある銅を廻転して見た。果して磁針はこれに伴って廻り出した。なおこの運動は、磁針と銅との間に紙のような物を[#「紙のような物を」に傍点]入れて置いても、少しも影響を受けない。その後には軸に取り附けた銅板の下で磁針を廻すと、上方の銅板が廻り出すことも確かめた。
八 感応電流の発見
ファラデーは一八二八年四月[#「一八二八年四月」に傍点]にも、また磁石で電流を起そうと試みたが、これも結果が出なかった[#「これも結果が出なかった」に傍点]。なぜ今までの実験で何時も結果が出なかったのか。原因は磁石も銅線のコイルも動かなかったためである[#「動かなかったためである」に傍点]。
一八三一年の夏[#「一八三一年の夏」に傍点]にまたやり出した。このたびは鉄の環《わ》を取り、その半分に銅線Aを巻き、またこれと少し離れて、他の半分には別の銅線Bを巻き、その先端は磁石の近くに置いた。これは電流の通ったかどうかを、磁石の振れで見るためである。前の銅線Aに電流を通ずると[#「電流を通ずると」に傍点]、鉄環は磁気を帯びる。が、この瞬間に銅線Bの近くにある磁石がちょっと動くらしいのを発見した[#「瞬間に銅線Bの近くにある磁石がちょっと動くらしいのを発見した」に傍点]。またAの電流を切ると[#「電流を切ると」に傍点]、その瞬間にも[#「その瞬間にも」に傍点]磁石が動くらしいのを見た。
今日、王立協会の玄関の所にファラデーの立像がある。その手に環を持っているのは、今述べた実験の環[#「実験の環」に傍点]をあらわしたものだ。それから、この実験に用いた真物《ほんもの》の環も、王立協会になお保存されてある。
それから八月三十日[#「八月三十日」に傍点]に、実験した手紙には、「この瞬間的[#「瞬間的」に傍点]の作用がアラゴの実験で銅板の動くときに影響があることに関係[#「関係」に傍点]あるのではないか。」と書いた。
次に実験したのは九月二十四日[#「九月二十四日」に傍点]で、十個の電池から来る電流を針金に通して磁石を作り、この際に[#「この際に」に傍点]他の針金に何等の作用があるかを調べた。しかし、その作用は充分に認められなかった[#「充分に認められなかった」に傍点]。それから銅線の長いのや、短いので実験を繰り返し、また電磁石の代りに棒磁石でもやって見たが、やはり作用が充分に認められなかった[#「充分に認められなかった」に傍点]。
その次に実験したのは十月一日[#「十月一日」に傍点]で、ファラデーの手帳には次のごとく書いてある。
「三十六節。四インチ四方の板を十対ずつもつ電池の十組を硫酸、硝酸の混合で電流を起し、次の実験を次の順序に従って行った。
「三十七節。コイルの一つ(二百三フィートの長さの銅線のコイル)を平たいコイルに繋《つ》なぎ、また他のコイルは(前のと同じ長さのコイルで、同種な木の片に巻いた)電池の極につなぐ[#「つなぐ」に傍点]。この二つのコイルの間に金属の接触のないことは確めて置いた。このとき[#「このとき」に傍点]平たいコイルの所にある磁石が極めて少し動く[#「極めて少し動く」に傍点]。しかし、見難いほど少しである。
「三十八節。平たいコイルの代りに、電流計[#「電流計」に傍点]を用いた。そうすると、電池の極へつなぐ時と、切る時とで衝動[#「衝動」に傍点]を感ずるが、これも見難いほどわずかである。電池へつないだ時は一方[#「一方」に傍点]に動き、切る時は反対の方[#「反対の方」に傍点]に動く。平常はこの中間[#「中間」に傍点]に磁石がいる。
「それゆえに鉄は存在しないが、感応作用があって[#「感応作用があって」に傍点]磁針を動すのである。しかし、それはごく弱いのか、さもなくば充分な時間がない位に瞬間的のものである[#「瞬間的のものである」に傍点]。多分この後の方であろう。」
その次に実験したのは十月十七日[#「十月十七日」に傍点]で、磁石を遠ざけたり[#「磁石を遠ざけたり」に傍点]、近づけたりして[#「近づけたりして」に傍点]、これが針金に感応して電流の生ずるのを確かめた[#「これが針金に感応して電流の生ずるのを確かめた」に傍点]。
これで、以前の実験において結果が出なかったのは、磁石とコイルが共に静止しておったためだと分った。実際、磁石はコイルの傍に十年置いても、百年置いても、電流を生じない。しかし、少しでも動けば[#「少しでも動けば」に傍点]、すぐに電流を生ずるのであるから。
その次に実験したのは十月二十八日[#「十月二十八日」に傍点]で、大きな馬蹄形の磁石の極の間で、銅板を廻し、銅板の中心と縁《ふち》とを針金で電流計につないで置き、電流計が動く[#「動く」に傍点]のを見た。
その次の実験は十一月四日[#「十一月四日」に傍点]で、手帳に「銅線の八分の一インチの長さのを磁極と導体との間で動すとき作用あり」と書いた。また針金が「磁気線を切る」と書いた。この磁気線[#「磁気線」に傍点]というのは、鉄粉で眼に見られるように現わすことの出来る磁気指力線のことである。なお一歩進んで、この磁気線で感応作用を定量的[#「定量的」に傍点]に表わすことは、ずっと後になって、すなわち一八五一年にファラデーが研究した。
九 結果の発表
かように、約十回の実験で[#「約十回の実験で」に傍点]、感応作用が発見された。実験室の手帳を書き直おして、ローヤル・ソサイテーに送り、一八三一年十一月二十四日[#「十一月二十四日」に傍点]にその会で読んだ。しかし、印刷物として出したのは、翌年一月で、そのためにあるイタリア人との間に、ちょっと面倒な事件が持ち上った。
この論文は「電気の実験研究」の第一篇[#「第一篇」に傍点]におさめてある。実験したときの手帳に書いてあるのと比較すると、文章においてはほとんど逐語的に同じであるが、順序に[#「順序に」に傍点]おいて少し違っている。実験した順序は[#「実験した順序は」に傍点]、今述べたように、磁石から電流を生ずるのを前に試みて、それから電流が他の電流に感応するのを、やったのである。しかし、論文の方[#「論文の方」に傍点]には、電流の感応の方を前に書いて、感応の事柄を概説し、しかる後に、磁石の起す感応電流のことを記してある。
この発見をしてから、ファラデーは友人を招いて、その実験を見せた。その際、マヨーの作った歌がある。
[#ここから3字下げ]
ファラデーの磁石を廻りて、
確かに流るるボルタの電気。
さて針金に取り出すその術《すべ》は、
ファラデーが手本にしたのは愛情で、
二人が逢う刹那《せつな》と別るる刹那、
飛出す火花は電気じゃないか。
[#ここで字下げ終わり]
ファラデーはローヤル・ソサイテーで、自分の論文を発表してから、英国の南海岸のブライトンへ休養に行った。しかし、すぐ帰って来て、十二月五日[#「十二月五日」に傍点]には再び研究に取りかかり、同十四日[#「同十四日」に傍点]には、地球の磁気を用いて感応電流が生ずるや否やを調べて、良い結果を得た。
一〇 その後の研究
ファラデーは恒例として、実験が成功した場合でも、しない場合でも、出来るだけ作用を強くして実験して見る[#「作用を強くして実験して見る」に傍点]ので、この場合にもその通りにした。初めには、四インチ四方の板が十対ある電池を十個[#「十個」に傍点]用いた。これで成功はしたのであるが、しかし電池を段々と増して、百個[#「百個」に傍点]までにした。
百個の電池から来る電流を切ったり、つないだりすると、感応作用は強いので、コイルにつないである電流計の磁針は、四、五回もぐるぐると廻って、なお大きく振動した。
また電流計の代りに、小さい木炭の切れを二つ入れて置くと、木炭の接触の場所で小さい火花が飛ぶ[#「火花が飛ぶ」に傍点]。ファラデーは火花の出るのを電流の存在する証拠と考えておったので、これを見て喜んだ。しかし、まだこの感応電流が電池から来る電流のように、生理的[#「生理的」に傍点]並びに化学的の作用[#「化学的の作用」に傍点]を示すことは見られなかった。
感応作用が発明されると、アラゴの実験はすぐに説明できた。すなわち、銅板に感応で電流を生じ、これが磁針に働いてその運動を止めるのである。
ファラデーはまた、この感応作用を使い、電流を生ずる機械[#「電流を生ずる機械」に傍点]を作ろうとした。初めに作ったのは、直径十二インチ、厚さ五分の一インチの銅板を真鍮の軸で廻し、この板を大きな磁石の極の間に置き、その両極の距離は二分の一インチ位にし、それから銅板の端と軸とから針金を出して、電流を取ったのである。
この後にも、色々な形の機械をこしらえた。板を輪にしたり、または数枚の板を用いたりした。しかし、最後に「余は電気感応に関する新しい事実と関係とを発見することを務めん。電気感応に関する既知のものの応用は止めにしよう。これは他の人が[#「他の人が」に傍点]追い追いと[#「他の人が[#「他の人が」に傍点]追い追いと」は底本では「他の人が追[#「の人が追」に傍点]い追いと」]やるであろうから。」というて止めた。ファラデーはこの後いつも応用がかった
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