になる。その間、サー・デビーと大陸に旅行したちょっとの間が不在であっただけで、引きつづき永々《ながなが》御世話になりました。その間、貴下の御親切により、また協会の御蔭によって、幸福に暮せましたので、私はまず第一に神様に謝し、次には貴下並びに貴下の前任者に厚く御礼を申し上げねばならぬ。自分の生涯は幸福であり、また自分の希望通りであった。それゆえ、協会へも相当に御礼をなし、科学にも相当の効果を収めようと心がけておりました。が、初めの中は準備時代であり、思うままにならぬ中に、もはや老衰の境に入りました。」
というようなことが書いてある。
 翌一八六二年三月十二日が実にこの大研究家の最終の研究日であった[#「三月十二日が実にこの大研究家の最終の研究日であった」に傍点]。またその年の六月二十日が金曜講演の最後で[#「金曜講演の最後で」に傍点]あった。その時の演題はジーメンスのガス炉というのであったが、さすがのファラデーも力の弱ったことが、ありありと見えて、いかにも悲しげに満ちておった。ファラデー自身も、これが最後の講演だと[#「最後の講演だと」に傍点]、心密かに期していたそうである。この後も、人
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