ンドン市の一部となっているが、その頃はまだロンドンの片田舎に過ぎなかったニューイングトン・ブットが、始じめて呱々《ここ》の声をあげた所で、それは一七九一年九月二十二日[#「一七九一年九月二十二日」に傍点]のことであった。父はジェームス・ファラデーといい、母はマーガレットと呼び、その第三番目の子で、ミケルという世間には余り多くない名前であった。父のジェームスは鍛冶職人《かじしょくにん》で、身体も弱く、貧乏であったので、子供達には早くからそれぞれ自活の道を立てさせた。
[#「ヤコブス・ウェルス・ミュースの家」の挿絵(fig46340_02.png)入る]

     二 家系

 ファラデーの家はアイルランドから出たという言い伝えはあるが、確かではない。信ずべき記録によると、ヨークシャイアのグラッパムという所に、リチャード・ファラデーという人があって、一七四一年に死んでいるが、この人に子供が十人あることは確かで、その十一番目の子だとも、または甥だともいうのに、ロバートというのがあった。一七二四年に生れ、同八六年に死んでいるが、これが一七五六年にエリザベス・ジーンという女と結婚して、十人の子
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