止めにして、出来上っただけを発表する人が多い。感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について[#「発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について」に傍点]、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。あたかも雲に聳《そび》ゆる高塔を仰いで、その偉観に感激せずにはいられないとしても、さて、どういう足場を組んで、そんな高いものを建て得たかが、判らないのと同じである。
 ファラデーの論文には、いかに考え、いかに実験して、それでは結果が出なくて[#「結果が出なくて」に傍点]、しまいにかくやって発見した、というのが、偽らずに全部書いてある。これでこそ発見の手本に[#「発見の手本に」に傍点]もなる。
 またファラデーの伝記は決して無味乾燥ではない。電磁気廻転を発見して、踊り喜び、義弟をつれて曲馬見物に行き、入口の所でこみ合って喧嘩[#「喧嘩」に傍点]をやりかけた壮年の元気は中々さかんである。莫大の内職をすて[#「莫大の内職をすて」に傍点]、[#「莫大の内職をすて[#「莫大の内職をすて」に傍点]、」は底本では「莫大の内職をすて、[#「大の内職をすて、」
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