様子である。この後に多少変ったり、広くもなった。ファラデーの後任のチンダルが、一八七二年に全部を改築し、一八九六年にはモンドが「デビー―ファラデー実験室」というのを南に建て増しをした。その後ヂュワーが低温度の実験をしたとき重い機械を入れたため、多少の模様変えをした。しかし今日でも昔のおもかげは残っている。[#「残っている。」は底本では「残っている 」]また大通りに十四本の柱があるが、これはファラデー時代に附けたもので、この間の入口を這入《はい》ると、今日では玄関にファラデーの立像がある[#「立像がある」に傍点]。

     一一 王立協会の講義

 王立協会でやっている講義は三種類で、これはファラデーの時代からずっと引続いて同じである。
 クリスマス[#「クリスマス」に傍点]の頃に子供のために開くやさしい講義が六回位ある。また平常一週三回位、午後三時[#「午後三時」に傍点]からの講義があって、これは同じ題目で二・三回で完了することが多い。それから金曜の夜[#「金曜の夜」に傍点]の九時からのがある。これが一番有名なので、良い研究の結果が出ると、それを通俗に砕いて話すのである。現今ではこ
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