ずる」に傍点]ことを言い出したのは有名な発見であるが、一方では、貧民は富ましてしかる後に教うべしというので、暖炉の改良、食物の改良をもやった。功によりて一七九一年には、三十八歳[#「三十八歳」に傍点]で神聖ローマ帝国の伯爵[#「神聖ローマ帝国の伯爵」に傍点]になり、出身地の名をとって、ルムフォード伯と呼ぶことになった。一時、病気の重かったときにも、貧民が多勢で教会に行って全快の御祈りをするというような、非常な人望であった。十一年振りで英国に帰ったが、その時もアイルランドに行って、貧民の生活状態を視察した。アメリカに置いて来た十九歳の娘を呼んで、共にミュンヘンにつれ帰ったが、丁度フランスオーストリアの戦争で、選挙公はミュンヘンから逃げ出したので、ルムフォードが選挙公の代理として総指揮官となり、ミュンヘンを防ぎ、中立を厳守して、フランスオーストリア両軍とも市内に入れさせなかった。
 それから、ロンドンへ全権公使として行くことになったが、英国王が承知しない。結局辞職してロンドンへ来た。おもな目的は王立協会の設立で[#「王立協会の設立で」に傍点]、貧民の生活改善のため、煖房とか料理法の改良とか
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