を挙げた。その子供等は百姓だの、店主だの、商人だのになったが、その三番目[#「三番目」に傍点]に当るのが一七六一年五月八日に生れたジェームスというので、上に述べた鍛冶屋さんである。ジェームスは一七八六年にマーガレット・ハスウエルという一七六四年生れの女と結婚し、その後間もなくロンドンに出て来て、前記のニューイングトンに住むことになった。子供が四人[#「子供が四人」に傍点]できて、長女はエリザベスといい一七八七年に、つづいて長男のロバートというのが翌八八年に、三番目[#「三番目」に傍点]のミケルが同九一年に、末子のマーガレットは少し間をおいて一八〇二年に生れた。
一七九六年にミュースに移ったが、これは車屋の二階のささやかな借間であった。一八〇九年にはウエーマウス町に移り、その翌年にジェームスは死んだ。後家さんのマーガレットは下宿人を置いて暮しを立てておったが、年老いてからは子供のミケルに仕送りをしてもらい、一八三八年に歿《な》くなった。
三 製本屋
かように家が貧しかったので、ミケルも自活しなければならなかった。幸いにもミュースの入口から二・三軒先きにあるブランド町の二番地に、ジョージ・リボーという人の店があった。文房具屋[#「文房具屋」に傍点]で、本や新聞も売るし、製本もやっていた。リボーは名前から判ずると、生来の英国人では無いらしい。とにかく、学問も多少あったし、占星術も学んだという人である。
一八〇四年にミケルは十三歳[#「十三歳」に傍点]で、この店へ走り使いをする小僧に雇われ、毎朝御得意先へ新聞を配ったりなどした。骨を惜しまず、忠実に働いた。ことに日曜日には[#「日曜日には」に傍点]朝早く御用を仕舞って、両親と教会に行った。この教会との関係はミケルの一生に大影響のあるもので、後にくわしく述べることとする。
一年してから、リボーの店で製本の徒弟[#「製本の徒弟」に傍点]になった。徒弟になるには、いくらかの謝礼を出すのが習慣になっていた。が、今まで忠実に働いたからというので、これは免除してもらった。
リボーの店は今日でも残っているが、行って見ると、入口の札に「ファラデーがおった」と書いてある。その入口から左に入った所で、ファラデーは製本をしたのだそうである。
かように製本をしている間に、ファラデーは単に本の表紙だけではなく、内容までも[#
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