「一一」は底本では「一〇」] 媒介物の作用
一二 その他の研究
一三 電気分解
一四 静電気の研究
一五 その後の研究
第三期の研究
一六 光と電磁気との関係
一七 磁気に働かるる光
一八 磁性の研究
一九 光の電磁気説
二〇 その他の研究
二一 再び感応電流
二二 晩年の研究
二三 研究の総覧
年表
参考書類
地名、人名、物名の原語
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前編 生涯
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生い立ち
一 生れ
前世紀の初めにロンドンのマンチエスター・スクエーアで、走り廻ったり、球をころがして遊んだり、おりおり妹に気をつけたりしていた子供があった。すぐ側のヤコブス・ウエルス・ミュースに住んでいて、学校通いをしていた子供なのだ。通りがかりの人で、この児に気づいた者は無論たくさんあったであろうが、しかし誰れ一人として、この児が成人してから、世界を驚すような大科学者になろうと思った者があろうか。
この児の生れたのは[#「生れたのは」に傍点]今いうたミュースではない。只今では大ロンドン市の一部となっているが、その頃はまだロンドンの片田舎に過ぎなかったニューイングトン・ブットが、始じめて呱々《ここ》の声をあげた所で、それは一七九一年九月二十二日[#「一七九一年九月二十二日」に傍点]のことであった。父はジェームス・ファラデーといい、母はマーガレットと呼び、その第三番目の子で、ミケルという世間には余り多くない名前であった。父のジェームスは鍛冶職人《かじしょくにん》で、身体も弱く、貧乏であったので、子供達には早くからそれぞれ自活の道を立てさせた。
[#「ヤコブス・ウェルス・ミュースの家」の挿絵(fig46340_02.png)入る]
二 家系
ファラデーの家はアイルランドから出たという言い伝えはあるが、確かではない。信ずべき記録によると、ヨークシャイアのグラッパムという所に、リチャード・ファラデーという人があって、一七四一年に死んでいるが、この人に子供が十人あることは確かで、その十一番目の子だとも、または甥だともいうのに、ロバートというのがあった。一七二四年に生れ、同八六年に死んでいるが、これが一七五六年にエリザベス・ジーンという女と結婚して、十人の子
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