と言った。ところが、ファラデーは頭を振り顔色を変え、悲しそうな声で「私が商売をすてて学界に入った頃には、これでもう度量の狭い、妬み深い俗の世界は跡にしたと思っておったが、これは誤りで、智識は高くなっても、やはり人間の弱点や利己心は消えぬものだということを悟りました」と答えた。

     四〇 実用

 科学上の発見の話が出ると、すぐに「それが何の用[#「何の用」に傍点]に立つのか」ときかれる。これの答は、人間には智識慾があって智識を得んとするゆえこれを満たすものはみな有用だといいてもよい。しかし問う者は恐らくかかる答では満足すまい。「実用向きで[#「実用向きで」に傍点]何の用に立つのか」という所存《つもり》であろう。それに答えるのも、ファラデーの場合にはむずかしくはない。
 電気が医用[#「医用」に傍点]になるというが、これもファラデーの電気ではないか。いずれの都市でも、縦横に引ける針金の中を一方から他方へと流れるものはファラデーの電流ではないか。家々の灯用[#「灯用」に傍点]として使い、また多くの工場では動力[#「動力」に傍点]に用い、電車[#「電車」に傍点]もこれで走っているではないか。大西洋なり太平洋なりを航海する船と通信したり大洋の向うの陸から此方の陸へと通信する無線電信[#「無線電信」に傍点]も、ファラデーの電気ではないか。
 しかし、ファラデー自身は応用の事には少しも手を出さなかった[#「応用の事には少しも手を出さなかった」に傍点]。せっかく、研究して実用に近い所まで来ると、急に方面を換えてしまった。特許も一つも取らなかった。さればといいて実用を軽んじたのではない[#「実用を軽んじたのではない」に傍点]。
 王立協会の金曜講演には、有用な発見の事をよく話した。ゴムの原料や、これから出来た材料、エリクソンの発明にかかる太陽熱利用の機械、鏡にメッキするペチットジェンの方法、木材の乾燥や、それの腐蝕を防ぐ方法、ボネリーの電気応用絹織機、バァリーの考案にかかる上院の通気法等で、ファラデー一生の最後の講演はジーメンスのガス炉の話であった。
 ファラデーが塩素につきて講演したとき、結末の所で言ったのに、
「新しい発見の事を聞くと、それは何の用に立つかと、すぐにきく癖の人がある。フランクリンはかような人には嬰児は何の用に立つのか[#「嬰児は何の用に立つのか」に傍点]
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