と反問したそうだが、余はこれを用に立つようにしてくれ[#「これを用に立つようにしてくれ」に傍点]と答えたい。始めて塩素をシールが発見した時には、実用にならなかったので、いわば嬰児であった。しかしこの嬰児が大きくなって、力づいてからは、今日立派に実用になっているではないか。」
 つまり、ファラデーは嬰児を作ることに尽力したので[#「嬰児を作ることに尽力したので」に傍点]、育てて実用にするのは他人に頼んだ訳である[#「育てて実用にするのは他人に頼んだ訳である」に傍点]。

     四一 講演振り

 ファラデーは講演者としても非常に巧妙[#「巧妙」に傍点]で、その頃肩をならべる者がなかった。それで、王立協会でやった講演は一八二三年にブランド教授の代理をした時に始って、同一八六二年に至る三十九年の長い間に亘った。かく名高くなったのは天禀《てんぴん》にもよるであろうが、また熱心と熟練にもよる[#「熱心と熟練にもよる」に傍点]こと少なくない。初めにデビーの講演を聴いたときから、かかる点がうまい[#「うまい」に傍点]というような事まで観察しておった。後に王立協会に入ってから数週を経て、友人アボットに送った手紙に、講堂の事から講師の態度の事まで細かく論じた位で、常に注意を怠らなかった。
 それから市科学会で講演するようになってから、スマートの雄弁術の講義を聴きに行き、その後(一八二三年)には一回、半ギニー(十円五十銭)の謝礼を出して単独に稽古をつけてもらった。そればかりでなく、ファラデー自身の講演をスマートにきいてもらって[#「きいてもらって」に傍点]、批評を受けたこともある。但し、ファラデーの講演振りは雄弁術で教えるような人工的の所にはかぶれなくて、活気に満ちていた[#「活気に満ちていた」に傍点]。
 ファラデーの書いた物の中にも、
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「決して句を繰り返すな。
「決して修整するために跡に戻るな。
「ちょっと、ある言葉を忘れても、チェッチェッとか、エーエーとか言わず、しばらく待っておれば、すぐに続きを思い出すものだ。こうすると、悪い習慣がつかないで、すらすらと出るようになる。
「決して他人の言うてくれる批評を疑うな。」
[#ここで字下げ終わり]
 姪のライド嬢はしばらくファラデーの所に厄介《やっかい》になっていたが、その話に、「マルガ
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