げられた。それでローヤル・ソサイテーで発表した元の論文は、この時まだ[#「まだ」に傍点]印刷出来なかった。
 このル・タンに載せた手紙をイタリアのノビリとアンチノリとの両人が見て、この先きは自由に研究してよいと思ったから、ファラデーの発見の委細は知らないで、感応の研究をし、その結果をまとめた。一八三二年一月三十一日附であったが、妙なことには雑誌アントロギアの一八三一年の十一月号の遅れたのに出たので[#「十一月号の遅れたのに出たので」に傍点]、事情をよく知らない大陸の人々の眼には、ファラデーの論文より此方が早く出た[#「早く出た」に傍点]ように思われた。
 ファラデーはノビリ等の論文を英訳して、これに弁明を附し、一八三二年六月のフィロソフィカル・マガジンに出した。またその後に、ゲー・ルーサックの所へも、長い手紙を書いて送り、ノビリ等の論の誤謬をも詳しくいってやった。
 科学上の発見の優先権を定める規則として、現今はその発見が学界に通知された日附による[#「その発見が学界に通知された日附による」に傍点]ことになっているが、これはファラデーの事件から定まったことである。
 ファラデーは、実験上の発見は盗まれるものなることを知っておったので、この後は学界で発表するまでは秘密にして[#「学界で発表するまでは秘密にして」に傍点]、外の人に知らせなかった。反磁性の発見をしたときも、ごく心易いデ・ラ・リーブにだけは手紙で報導したが、それもローヤル・ソサイテーで発表するまでは、他の人に話してくれるなと、特に書き添えて置いた。
 ファラデーが後進の人達に話したのには、研究をどんどんとやり、やりてしまったら、まとめてすぐに発表せよというので、すなわち「勉強し[#「勉強し」に傍点]、完了し[#「完了し」に傍点]、発表せよ[#「発表せよ」に傍点]」というのであった。

     三九 学界の空気

 ファラデーが最初デビーに手紙を送ったときには、商売は利己的のもので嫌だと言った。デビーは、それは世間見ずの若い考で、数年も経つとその非をさとるだろうと言った。
 幾年か後に、クロッス夫人がファラデーの実験室に来た時に、学界の空気に感心したと見えて、ファラデーに「俗人の浅墓《あさはか》な生活や日日の事に齷齪《あくせく》するのとは全くの別天地で、こんな所で研究をしておられたら、どんなに幸福でしょう」
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