用をヂューマに見せたときも、実験がすむと、手をこすって、眼は火のように輝き、これを自分が発見したという喜ばしさが、ありありと見えたという話である。
自分の発見だけではない、人の発見した事でも、新しい実験は[#「新しい実験は」に傍点]非常に喜んだ。ヘンリーがアメリカから来て、キングス・カレッジで他の科学者と一緒になったとき、皆が熱電堆から出る電気で火花を飛ばそうと試みた。ヘンリーがそれをやって成功したとき、ファラデーは小児のように喜んで、「亜米利加人《ヤンキー》の実験万歳」と怒鳴った。それからプリュッカーがドイツから来て、王立協会で真空管内の放電に磁石を働かせて見せたときも、放電の光が磁石の作用に連れて動くのを見て、ファラデーはそのまわりを踊って喜んだ。
またジェームス・ヘイウードがイーストパンで烈しい雷雨[#「烈しい雷雨」に傍点]のときに、偶然ファラデーに出逢った。ファラデーは「丁度協会の塔に落雷するのを見た」といって、非常に喜んで[#「非常に喜んで」に傍点]おった。
三八 発見の優先権
発見の優先権については、ファラデーは非常に重きを置いた。ファラデーのように、誠心誠意の人でもあり、また感覚の鋭敏な人でもあり、かつ初めに苦しい経験を甞《な》めた人でもあり、また他方で巨万の富をすてて科学の発見を唯一の目的とした人の事であるから、もっともなことである。初めの苦しい経験[#「苦しい経験」に傍点]というのは、デビーの助手をしておった時代に、電磁気廻転につきてウォーラストンとの間に行き違いがあり、その後に塩素の液化の発見についてデビーとの間にごたごたがあった事で、これがため、ローヤル・ソサイテーの会員の当選を危からしめた程である。
この後、ファラデーは研究を発表する[#「発表する」に傍点]時に、月日を明記[#「月日を明記」に傍点]した。ところが一八三一年に、電磁気感応を発見したときにも、また不思議なことで行き違いが起った[#「行き違いが起った」に傍点]。ファラデーの発見は同年の九月から十月の間のことで、これを十一月二十四日にローヤル・ソサイテーで発表した。それより二週間を経て、概要を手紙に書いてパリのハセットの所へ送った。この手紙が行き違いを生ずる源となった。ハセットはこの手紙を十二月二十六日にパリのアカデミーに送ったが、その二十八日の新聞ル・タンに掲
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