「収入の計算書」に傍点]までも調べたところが中々面白いので、多少重複にはなるが、そのままを紹介しよう。
「一八三〇年には、内職の収入が一千ポンド以上あった。翌年には、もっと増すはずであった。もしファラデーが増そうと思ったら、その翌年には五千ポンド[#「五千ポンド」に傍点]にすることは、むずかしくは無かったろう。ファラデーの後半生三十年間は、平均この二倍[#「平均この二倍」に傍点]にも上ったに相違ない。
「余がファラデーの伝を書くに際して、ファラデーの「電気実験研究」を繰りかえして見た。そのときふと、ファラデーが学問と富との話をしたことがあるのを想い起した。それでこの発見か富豪かという問題がファラデーの心に上った年代は[#「年代は」に傍点]いつ頃であったのか、と考え出した。どうも一八三一、二年の頃であるらしく思われた。なぜかというと、この後ファラデーのやった様に、盛んに発見をしつつ、同時に内職で莫大の収入を得るということは、人力の企て及ぶ所でないからだ。しかし、それも確かでないので、ファラデーの収入書が保存されてあるのを取り出して、内職の収入を調べて見た。
「案の定、一八三二年には収入が五千ポンドに増す所か、千九十ポンド四シリングから百五十五ポンド九シリング[#「百五十五ポンド九シリング」に傍点]に減じている。これから後は、少し多い年もあり少ない年もあるが、まずこの位で、一八三七年には九十二ポンド[#「九十二ポンド」に傍点]に減り、翌年には全く無い[#「全く無い」に傍点]。一八三九年から一八四五年の間には、ただの一度を除いては二十二ポンド[#「二十二ポンド」に傍点]を越したことがない。さらにずっと少ない年が多い。この除外の年というのは、サー・チャールズ・ライエルと爆発の事を調べて報告を出した年で、百十二ポンドの総収入があった。一八四五年より以後、死ぬまで二十四年の間は[#「二十四年の間は」に傍点]、収入が全くない[#「収入が全くない」に傍点]。
「ファラデーは長命であった。それゆえ、この鍛冶職の子で製本屋の小僧が、一方では累計百五十万ポンド[#「累計百五十万ポンド」に傍点](千五百万円)という巨富と、一方では一文にもならない科学と[#「一文にもならない科学と」に傍点]、そのいずれを撰むべきかという問題に出会ったわけだが、彼は遂に断乎として後者を撰んだのだ。そして貧民と
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