一日を送り、愉快に満ちた顔して帰って来た。ついに一八二一年六月十二日に結婚した[#「ついに一八二一年六月十二日に結婚した」に傍点]。
 式の当日は賑やかなことや、馬鹿騒ぎはせぬ様にし、またこの日が平日と特に区別の無い様にしようとの希望であった[#「平日と特に区別の無い様にしようとの希望であった」に傍点]。しかし実際においては、この日こそファラデーに取って、生涯忘るべからざる日となったので、その事はすぐ後に述べることとする。
 結婚のすぐ前に、ファラデーは王立協会の管理人[#「管理人」に傍点]ということになり、結局細君を王立協会の内に連れて来て、そこに住んだ[#「そこに住んだ」に傍点]。しかし舅《しゅうと》のバーナードの死ぬまでは、毎土曜日には必ずその家に行って、日曜には一緒に教会に行き、夕方また王立協会へ帰って来た。
 ファラデーの真身の父は、ファラデーがリボーの所に奉公している中に死んだが、母はファラデーと別居していて、息子の仕送りで暮し、時々協会にたずね来ては、息子の名声の昇り行くのを喜んでおった。
 ファラデーは結婚してから一ヶ月ばかりして、罪の懺悔をなし、信仰の表白をして、サンデマン教会にはいった。しかしこの際に、細君のサラには全く相談しなかった。もっとも細君は既に教会にはいってはおった。ある人が何故に相談しなかったときいたら、それは自分と神との間のみ[#「自分と神との間のみ」に傍点]の事だから、と答えた。

     二六 幸福なる家《ホーム》

 ファラデーには子供が無かった。しかし、この結婚は非常に幸福[#「非常に幸福」に傍点]であった。年の経つに従って、夫妻の愛情はますます濃《こま》やかになるばかりで[#「ばかりで」は底本では「ばかりて」]、英国科学奨励会(British Association of the Advancement of Science)の年会があって、ファラデーがバーミンガムに旅行しておった時も、夫人に送った手紙に、
「結局、家《ホーム》の静かな悦楽に比ぶべきものは外にない。ここでさえも食卓を離れる時は、おん身と一緒に静かにおったらばと切に思い出す。こうして世の中を走り廻るにつけて、私はおん身と共に暮すことの幸福を、いよいよ深く感ずるばかりである。」
 ファラデーは諸方からもらった名誉の書類[#「名誉の書類」に傍点]を非常に大切に
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