保存して置いた。今でも王立協会にそのままある。各大学や、各学会からよこした学位記や賞状の中に[#「学位記や賞状の中に」に傍点]、一つの折紙[#「一つの折紙」に傍点]が挟んである。
「一八四七年一月二十五日。」
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これらの記録の間に、尊敬と幸福との源として、他のものよりも一層すぐれたものを挟んで置く。余等は一八二一年六月十二日に結婚した。
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[#地から3字上げ]ファラデー」
 またチンダルの書いたファラデー伝には、「これにも優りて、雄々しく、清らかなる、不変の愛情他にあるべきや。宛も燃ゆるダイヤモンドのその如く[#「宛も燃ゆるダイヤモンドのその如く」に傍点]、四十六年の長きに亘りて[#「四十六年の長きに亘りて」に傍点]、煙なき[#「煙なき」に傍点]、純白の光を放ちつつ燃えぬ[#「純白の光を放ちつつ燃えぬ」に傍点]」
と、美しい筆致で描かれてある。
 ファラデーは結婚後、家庭が極めて幸福だったので、仕事にますます精が出るばかりであった。前記の市科学会はもはやつぶれたので、友人のニコルの家へ集って、科学の雑誌を読んだりした。
 一八二三年には、アセニウム倶楽部ができた。今のパル・マルにある立派な建物はまだなくて、ウォータールー・プレースの私人の家に、学者や文学者が集ったので、ファラデーはその名誉秘書になった。しかし、自分の気風に向かない仕事だというので、翌年辞した。

     二七 ローヤル・ソサイテーの会員

 デビーはファラデーの書いたものの文法上の誤を正したり、文章のおかしい所をなおしたりしてくれた。一八二二年に塩素を液化した[#「塩素を液化した」に傍点]ときのファラデーの論文も、デビーはなおした上に附録をつけ、自分が実験の方法を話した[#「実験の方法を話した」に傍点]ことも書き加えた。しかし、ファラデーの要求すべき領域内に立ち入るようなことはなかった。ただ事情を知らない人には、こうした事もとかく誤解を生じ易い[#「誤解を生じ易い」に傍点]。
 すでに二、三年前に電磁気廻転を発見した時にも誤解が起った[#「誤解が起った」に傍点]。ファラデーが発見した以前、ウォーラストンがやはり電磁気廻転のことを考えておった。しかし、ファラデーのとは全く別のものであった。それにも関わらずウォーラストンの友人のワルブルトン等は同じものだと
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