報告し、かつ色々の出来事は日記に一々記録して置くこと。また毎週一日は器械の掃除日とし、一ヶ月に一度はガラス箱の内にある器械の掃除をもして塵をとること。」というのであった。
 しかしファラデーは、かような小使風の仕事をするばかりでなく、礦物の標本を順序よく整理したりして、覚書に定めてあるより以上の高い地位を占めて[#「高い地位を占めて」に傍点]いるつもりで働いた。
 ファラデーが助手になってから、どんな実験の手伝いをしたかというに、まず甜菜《てんさい》から砂糖をとる実験をやったが、これは中々楽な仕事ではなかった。次ぎに二硫化炭素の実験であったが、これは頗る臭い物である。臭い位はまだ可《よ》いとしても、塩化窒素の実験となると、危険至極の代物だ[#「危険至極の代物だ」に傍点]。
 三月初めに雇われたが、一月半も経《た》たない内に、早くもこれの破裂で負傷したことがある。デビーもファラデーもガラス製の覆面《マスク》をつけて実験するのだが、それでも危険である。一度は、ファラデーがガラス管の内に塩化窒素を少し入れたのを指で持っていたとき、温いセメントをその傍に持って来たら、急に眩暈《めまい》を感じた。ハッと意識がついて見ると、自分は前と同じ場所に立ったままで、手もそのままではあったが、ガラス管は飛び散り、ガラスの覆面も滅茶滅茶に壊《こ》われてしまっておった。
 またある日、このガスを空気ポンプで抽《ぬ》くと、静に蒸発した。翌日同じ事をやると、今度は爆発し、傍にいたデビーも腮《あご》に負傷した。
 かようなわけで、何時どんな負傷をするか知れないのではあるが[#「何時どんな負傷をするか知れないのではあるが」に傍点]、それでもファラデーは喜んで実験に従事し、夕方になって用が済むと、横笛を吹いたりして楽しんでおった。

     八 勉強と観察

 ファラデーは暇さえあれば、智識を豊かに[#「智識を豊かに」に傍点]することを努めておった。既に一八一三年にはタタムの発起にかかる市の科学界に入会した。(これは後につぶれたが)。この会は三・四十人の会員組織で、毎水曜日に集って、科学の研究をするのである。この外にもマグラース等六・七人の同志が集って、語学の稽古をして、発音を正したりなどした。
 一方において、王立協会で教授が講義をするのを聴いたが、これも単に講義をきくというだけでは無く[#「単に
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