講義をきくというだけでは無く」に傍点]、いろいろの点にも注意をはらった。その証拠には、当時アボットにやった手紙が四通も今日に残っているが、それによると、講堂の形から、通風、入口、出口のことや、講義の題目、目と耳との比較を論じて、机上に器械標本を如何に排列すべきかというような配置図や、それから講師のスタイル、聴者の注意の引きつけ方、講義の長さ等に至るまで、色々と書いてある。その観察の鋭敏なることは驚くばかりで、後にファラデー自身が講師となって[#「自身が講師となって」に傍点]、非常に名声を博したのも[#「非常に名声を博したのも」に傍点]、実にこれに基づくことと思われる。
九 王立協会
王立協会(Royal Institution)はファラデーが一生涯研究をした所で、従ってファラデー伝の中心点とも見るべき所である。それ故、その様子を少しく述べて置こうと思う。この協会の創立[#「創立」に傍点]は一七九九年で、有名なルムフォード伯すなわちベンヂャミン・トンプソンの建てたものである。(この人の事については附録で述べる)。
それで王立協会の目的[#「目的」に傍点]はというと、一八〇〇年に国王の認可状の下りたのによると、「智識を普及し、有用の器械の発明並びに改良を奨め、また講義並びに実験によりて、生活改善のために科学の応用を教うる所」としてある。
しかし、その翌年には既に財政困難[#「財政困難」に傍点]に陥って維持がむずかしくなった。幸いにデビーが教授になったので、評判が良くなり、この後十年間は上流社会の人達がデビーの講義を聞くために、ここに雲集した。しかし財政は依然として余り楽《らく》にもならず、後で述べるように、デビーが欧洲大陸へ旅行した留守中につぶれかけたこともあり、一八三〇年頃までは中々に苦しかった。
かように、一方では大学に[#「大学に」に傍点]似て、教授があって講義[#「講義」に傍点]をする。しかし余り高尚なむずかしい講義はしない。また実験室[#「実験室」に傍点]があって研究もする。けれども他方では、会員[#「会員」に傍点]があって、読書室に来て、科学の雑誌や図書の集めてあるのを読むようになっている。
その頃、欧洲の大学では実験室の設備のあった所は無いので、キャンブリッジ大学のごとき所でも、相当の物理実験室の出来たのは、ファラデーの死んだ後であ
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