「以上に列記したるは、ファラデーの発見中の最も著名なるもののみである。たといこれらの発見なしとするも、ファラデーの名声は後世に伝うるに足るべく、すなわちガス体の液化、摩擦電気、電気鰻の起す電気、水力による発電機、電磁気廻転、復氷、種々の化学上の発見、例えばベンジンの発見等がある。
「かつまたそれらの発見以外にも、些細の研究は数多く、なお講演者[#「講演者」に傍点]として非常に巧妙であったことも特筆するに足るだろう。
「これを綜合して考うれば、ファラデーは世界の生んだ最大の実験科学者なるべく、なお歳月の進むに従って、ファラデーの名声は減ずることなく、ますます高くなるばかりであろう。」と。
 ファラデーの名声がますます高くなるだろうと書いたチンダルの先見は的中した。しかし、チンダルはファラデーの最大の発見を一つ見落しておった[#「最大の発見を一つ見落しておった」に傍点]。それは実験上での発見ではなくて、ファラデーが学説として提出したもので、時代より非常に進歩[#「非常に進歩」に傍点]しておったものである。もしチンダルにその学説の価値が充分に理解できたならば、チンダル自身がさらに大科学者として大名を残したに違いない。それは何か。
 前にフィリップスに与えた手紙のところで述べた電気振動が光である[#「電気振動が光である」に傍点]という説である。マックスウェルの数理と、ヘルツの実験とによりて完成され、一方では理論物理学上の最も基本的な電磁気学に発展し、他方では無線電信、無線電話等、工業界の大発明へと導いた光の電磁気説[#「光の電磁気説」に傍点]がそれである。
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  年表

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一七九一年  九月二十二日 ロンドン郊外ニューイングトン・ブットに生る。
一八〇四年         リボーの店に入る。
一八一二年  二月     サー・デビーの講演を聴く。
一八一三年  三月  一日 王立協会の助手となる。
同      十月 十三日 サー・デビー夫妻に従って欧洲大陸に出立す。
一八一四年         イタリアにあり。
一八一五年  四月二十三日 ロンドンに帰る。
一八一六年  一月 十七日 始めて講演す。
一八一六年         生石灰を研究し、その結果を発表す。
一八二一年  六月 十二日 結婚す。王立協会の管理
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