か』と。
 なるほど、一|應《おう》理屈《りくつ》はあるやうであるが、予《よ》の見《み》る所《ところ》は全然《ぜん/\》これに異《こと》なる。
 問題《もんだい》は決《けつ》してしかく單純《たんじゆん》なものではなくして、別《べつ》に深《ふか》い精神的理由《せいしんてきりゆう》があると思《おも》ふ。
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 日本《にほん》の建築《けんちく》が古來《こらい》木造《もくざう》を以《もつ》て一|貫《くわん》して來《き》た原因《げんいん》は、第《だい》一に、わが國《くに》に木材《もくざい》が豊富《ほうふ》であつたからである。
 今日《こんにち》ですら日本全土《にほんぜんど》の七十パーセントは樹木《じゆもく》を以《もつ》て蔽《おほ》はれてをり、約《やく》四十五パーセントは森林《しんりん》と名《な》づくべきものである。
 いはんや太古《たいこ》にありては、恐《おそ》らく九十パーセントは樹林《じゆりん》であつたらうと思《おも》はれる。
 この樹林《じゆりん》は、檜《ひのき》、杉《すぎ》、松等《まつとう》の優良《いうれう》なる建築材《けんちくざい》であるから、國民《こくみん》は必然《ひつぜん》これを伐《き》つて家《いへ》をつくつたのである。
 そしてそれが朽敗《きうはい》または燒失《せうしつ》すれば、また直《たゞち》にこれを再造《さいざう》した。が、伐《き》れども盡《つ》きぬ自然《しぜん》の富《とみ》は、終《つひ》に國民《こくみん》をし、木材以外《もくざいいぐわい》の材料《ざいれう》を用《もち》ふるの機會《きくわい》を得《え》ざらしめた。
 かくて國民《こくみん》は一|時的《じてき》のバラツクに住《す》まひ慣《な》れて、一|時的《じてき》主義《しゆぎ》の思想《しさう》が養成《やうせい》された。
 家屋《かおく》は一|代《だい》かぎりのもので、子孫繼承《しそんけいしやう》して住《す》まふものでないといふ思想《しさう》が深《ふか》い根柢《こんてい》をなした。
 否《いな》、一|代《だい》のうちでも、家《いへ》に死者《ししや》が出來《でき》れば、その家《いへ》は汚《けが》れたものと考《かんが》へ、屍《しかばね》を放棄《はうき》して、別《べつ》に新《あたら》しい家《いへ》を作《つく》つたのである。
 奧津棄戸《おきつすたへ》と
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