いふ語《ご》は即《すなは》ちこれである。
しかし國民《こくみん》は生活《せいくわつ》の一|時的《じてき》なるを知《し》ると同時《どうじ》に、死《し》の恒久的《こうきうてき》なるを知《し》つてゐた。
ゆゑにその屍《しかばね》をいるゝ所《ところ》の棺槨《くわんくわく》には恒久的材料《こうきうてきざいれう》なる石材《せきざい》を用《もち》ひた。もつとも棺槨《くわんくわく》も最初《さいしよ》は木材《もくざい》で作《つく》つたが、發達《はつたつ》して石材《せきざい》となつたのである。
即《すなは》ち太古《たいこ》の國民《こくみん》は必《かなら》ずしも石《いし》を工作《こうさく》して家屋《かをく》をつくることを知《し》らなかつたのではない。たゞその心理《しんり》から、これを必要《ひつえう》としなかつたまでゞある。
若《も》しも太古《たいこ》の民《たみ》が地震《ぢしん》を恐《おそ》れて、石造《せきざう》の家屋《かをく》を作《つく》らなかつたと解釋《かいしやく》するならば、その前《まへ》に、何《なに》ゆゑにかれ等《ら》は火災《くわさい》を恐《おそ》れて石造《せきざう》の家《いへ》を作《つく》らなかつたかを説明《せつめい》せねばならぬ。
火災《くわさい》は震災《しんさい》よりも、より頻繁《ひんぱん》に起《お》こり、より悲慘《ひさん》なる結果《けつくわ》を生《しやう》ずるではないか。
四 耐震的考慮の動機
一|屋《をく》一|代《たい》主義《しゆぎ》の慣習《くわんしふ》を最《もつと》も雄辯《ゆうべん》に説明《せつめい》するものゝ一は即《すなは》ち歴代《れきだい》遷都《せんと》の史實《しじつ》である。
誰《たれ》でも、國史《こくし》を繙《ひもと》く人《ひと》は、必《かなら》ず歴代《れきだい》の天皇《てんのう》がその都《みやこ》を遷《せん》したまへることを見《み》るであらう。それは神武天皇即位《じんむてんのうそくゐ》から、持統天皇《ぢとうてんのう》八|年《ねん》まで四十二|代《だい》、千三百五十三|年間《ねんかん》繼續《けいぞく》した。
この遷都《せんと》は、しかし、今日《こんにち》吾人《ごじん》の考《かんが》へるやうな手重《ておも》なものでなく、一|屋《をく》一|代《だい》の慣習《くわんしふ》によつて、轉轉《てん/\》近所《きんじよ》へお引越《ひきこし》になつ
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