與《あたふ》ることは先《まづ》ないといつてもよい。
即《すなは》ち太古《たいこ》の國民《こくみん》は、頻々《ひん/\》たる地震《ぢしん》に對《たい》して、案外《あんぐわい》平氣《へいき》であつたらうと思《おも》ふ。
二 何故太古に地震の傳説がないか
頻々《ひん/\》たる地震《ぢしん》に對《たい》しても、古代《こだい》の國民《こくみん》は案外《あんぐわい》平氣《へいき》であつた。いはんや太古《たいこ》にあつては都市《とし》といふものがない。
こゝかしこに三々五々のバラツクが散在《さんざい》してゐたに過《す》ぎない。巨大《きよだい》なる建築物《けんちくぶつ》もない。
たとひ或《ある》一二の家《いへ》が潰倒《くわいたう》しても、引《ひき》つゞいて火災《くわさい》を起《お》こしても、それは殆《ほとん》ど問題《もんだい》でない。
罹災者《りさいしや》は直《たゞち》にまた自《みづか》ら自然林《しぜんりん》から樹《き》を伐《き》つて來《き》て咄嗟《とつさ》の間《ま》にバラツクを造《つく》るので、毫《がう》も生活上《せいくわつじやう》に苦痛《くつう》を感《かん》じない。
いはんやまた家《いへ》を潰《つぶ》すほどの大震《たいしん》は、一|生《しやう》に一|度《ど》あるかなしである。太古《たいこ》の民《たみ》が何《なん》で地震《ぢしん》を恐《おそ》れることがあらう。また何《なん》で家《いへ》を耐震的《たいしんてき》にするなどといふ考《かんが》へが起《お》こり得《え》やう。
それよりは少《すこ》しでも美《うつく》しい立派《りつぱ》な、快適《くわいてき》な家《いへ》を作《つく》りたいといふ考《かんが》へが先立《さきだ》つて來《き》たらねばならぬ。
若《も》しも太古《たいこ》において國民《こくみん》が、地震《ぢしん》をそれほどに恐《おそ》れたとすれば、當然《たうぜん》地震《ぢしん》に關《くわん》する傳説《でんせつ》が太古《たいこ》から發生《はつせい》してゐる筈《はず》であるが、それは頓《とん》と見當《みあ》たらぬ。
第《だい》一|日本《にほん》の神話《しんわ》に地震《ぢしん》に關《くわん》する件《けん》がないやうである。
有史時代《いうしじだい》に入《い》つてはじめて地震《ぢしん》の傳説《でんせつ》の見《み》えるのは、孝靈天皇《かうれいてんのう》の五|年《ね
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