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外人《ぐわいじん》[#ルビの「ぐわいじん」は底本では「ぐわんじん」]の地震説《ぢしんせつ》は一|見《けん》甚《はなは》だ適切《てきせつ》であるが如《ごと》くであるが、要《えう》するにそは、今日《こんにち》の世態《せたい》をもつて、いにしへの世態《せたい》を律《りつ》せんとするもので、いはゆる自家《じか》の力《ちから》を以《もつ》て自家《じか》を強壓《けうあつ》するものであると思《おも》ふ。
換言《くわんげん》すれば、一|種《しゆ》の自家中毒《じかちうどく》であると思《おも》ふ。
そも/\日本《にほん》には天地開闢以來《てんちかいびやくいらい》、殆《ほとん》ど連續的《れんぞくてき》に地震《ぢしん》が起《お》こつてゐたに相違《さうゐ》ない。その程度《ていど》も安政《あんせい》、大正《たいしやう》の大震《だいしん》と同等《どうとう》若《も》しくはそれ以上《いじやう》のものも少《すくな》くなかつたらう。
しかし太古《たいこ》における日本《にほん》の世態《せたい》は決《けつ》してこれが爲《ため》に大《だい》なる慘害《さんがい》を被《かうむ》らなかつたことは明瞭《めいれう》である。
太古《たいこ》の日本家屋《にほんかおく》は、匠家《せうか》のいはゆる天地根元宮造《てんちこんげんみやづくり》と稱《しやう》するもので無造作《むざうさ》に手《て》ごろの木《き》を合掌《がつしやう》に縛《しば》つたのを地上《ちじやう》に立《た》てならべ棟木《むなぎ》を以《もつ》てその頂《いたゞき》に架《か》け渡《わた》し、草《くさ》を以《もつ》て測面《そくめん》を蔽《おほ》うたものであつた。
つまり木造《もくざう》草葺《くさふき》の三|角形《かくけい》の屋根《やね》ばかりのバラツクであつた。
いつしかこれが發達《はつたつ》して、柱《はしら》を建《た》てゝその上《うへ》に三|角《かく》のバラツクを載《の》せたのが今日《こんにち》の普通民家《ふつうみんか》の原型《げんけい》である。
斯《か》くの如《ごと》き材料《ざいれう》構造《こうざう》の矮小《わいせう》軟弱《なんじやく》なる家屋《かをく》は殆《ほとん》ど如何《いか》なる激震《げきしん》もこれを潰倒《くわいたう》することが出來《でき》ない。
たとひ潰倒《くわいたう》しても人《ひと》の生命《せいめい》に危害《きがい》を
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