、これを影戯[#「影戯」に丸傍点]と譯《やく》してゐるが、實《じつ》に輕妙《けいめう》である。
文章《ぶんしやう》の章句《しやうく》においても往々《わう/\》生硬《せいかう》な惡譯《あくやく》があつて、甚《はなは》だしきは何《なん》の事《こと》やら分《わ》からぬのがある。
「注意《ちうい》を拂《はら》[#ルビの「はら」は底本では「けふ」]ふ」だの「近《ちか》き將來《しやうらい》」などは、おかしいけれどもまだ意味《いみ》が分《わ》かるが、妙《めう》に持《も》つてまはつて、意味《いみ》が通《つう》じないのは、まことに困《こ》まる。
これ等《ら》は日本語《にほんご》を蹂躙《じうりん》するものといふべきである。
ひるがへつて歐米《おうべい》を見《み》れば、さすがに母語《ぼご》は飽《あ》くまでもこれを尊重《そんてう》し、英米《えいべい》の如《ごと》きは至《いた》るところに母語《ぼご》を振《ふ》りまはしてゐるのである。
ドイツでも曾《かつ》てラテン系《けい》の言葉《ことば》を節制《せつせい》してなるべく、自國語《じこくご》を使用《しよう》することを奬勵《せうれい》した。
どれだけ勵行《れ
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