ん》な古來《こらい》の和語《わご》があるのである。
また例《たと》へば、父母《ふぼ》はとと樣《さま》、はは樣《さま》と呼《よ》んで少《すこ》しも差《さ》し支《つか》へなきのみならず、却《かへつ》て恩愛《おんあい》の情《ぜう》が籠《こも》るのに、何《なに》を苦《くるし》んでかパパ樣《さま》、ママ樣《さま》と、歐米《おうべい》に模倣《もはう》させてゐるものが往々《わう/\》ある。
外國語《ぐわいこくご》を譯《やく》して日本語《にほんご》とするのは勿論《もちろん》結構《けつこう》であるが、その譯《やく》が適當《てきたう》でなかつたり、拙劣《せつれつ》であつたり不都合《ふつがふ》なものが隨分《ずゐぶん》多《おほ》い、新《あら》たに日本語《にほんご》を作《つく》るのであるから、これは充分《じうぶん》に考究《かうきう》してもらひたいものである。
劣惡《れつあく》なる新日本語《しんにほんご》の一|例《れい》に活動寫眞[#「活動寫眞」に丸傍点]といふのがある。
これはキネマトグラフの譯《やく》であらうが、何《なん》といふ惡譯《あくやく》であらう。支那《しな》はさすがに文字《もじ》の國《くに》で
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