人《にほんじん》自《みづか》らは、なほ更《さら》徹底的《てつていてき》に日本固有《にほんこゆう》の慣習《くわんしふ》に從《したが》ふのが、當然過《たうぜんす》ぎる程《ほど》當然《たうぜん》ではないか。
       四 斷じて姓名を逆列するな
 わが輩《はい》のこの所見《しよけん》に對《たい》して、或人《あるひと》はこれを學究《がくきう》の過敏《くわびん》なる迂論《うろん》であると評《へう》し、齒牙《しが》にかくるに足《た》らぬ些細《ささい》な問題《もんだい》だといつたが、自分《じぶん》にはさう考《かんが》へられぬ。
 これは曾《か》つてわが輩《はい》が「國語尊重《こくごそんちよう》」の題下《だいか》でわが國《くに》の國號《こくがう》は日本《にほん》であるのに、外人《ぐわいじん》の訛傳《くわでん》に追從《つひじう》して自《みづか》らジヤパンと名乘《なの》るのは國辱《こくじよく》であると論《ろん》じたのと同《おな》じ筆法《ひつぱふ》で、姓名轉倒《せいめいてんたふ》は矢張《やは》り一つの國辱《こくじよく》であると思《おも》ふのである。
 或人《あるひと》は又《また》いつた、汝《なんぢ》の所
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