命《しめい》は人身《じんしん》の營養《えいやう》にあることは勿論《もちろん》であるが、誰《だれ》でも實際《じつさい》に當《あた》つて一々《いち/\》營養《えいやう》の如何《いかん》を吟味《ぎんみ》して食《く》ふ者《もの》はない、第《だい》一に先《ま》づ味《あぢ》の美《び》を目的《もくてき》として食《く》ふのである。併《しか》し味《あぢ》の美《び》なるものは多《おほ》くは又《また》同時《どうじ》に營養《えいやう》にも宜《よろ》しいので、人《ひと》は不知不識《しらず/″\》營養《えいやう》を得《う》る處《ところ》に天《てん》の配劑《はいざい》の妙機《めうぎ》がある。然《しか》らば如何《いか》なる種類《しゆるゐ》の食物《しよくもつ》が適當《てきたう》であるかと云《い》ふ具體的《ぐたいてき》の實際問題《じつさいもんだい》になると、その解決《かいけつ》は甚《はなは》だ面倒《めんだう》になる。熱國《ねつこく》と寒國《かんこく》では食《しよく》の適否《てきひ》が違《ちが》ふ。同《おな》じ風土《ふうど》でも、人《ひと》の年齡《ねんれい》によつて適否《てきひ》が違《ちが》ふ、同《おな》じ年齡《ねんれい》
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