》の建築《けんちく》でないことになるが、實際《じつさい》に於《おい》ては必《かならず》しも爾《しか》く苛酷《かこく》なるものではない。勿論《もちろん》この問題《もんだい》は專門家《せんもんか》に由《よつ》て飽迄《あくまで》も研究《けんきう》されねばならぬのであるが。我輩《わがはい》は、茲《こゝ》には深《ふか》い哲學的議論《てつがくてきぎろん》には立《た》ち入《い》らないで、極《きは》めて通俗的《つうぞくてき》に之《これ》に關《くわん》する感想《かんさう》の一|端《たん》を述《の》べて見《み》よう。
我輩《わがはい》は先《ま》づ建築《けんちく》の最《もつと》も重要《ぢうえう》なる一|例《れい》即《すなは》ち住家《ぢうか》を取《とつ》て之《これ》を考《かんが》へて見《み》るに「住《ぢう》は猶《なほ》食《しよく》の如《ごと》し」と云《い》ふ感《かん》がある。食《しよく》の本義《ほんぎ》に就《つい》て、生理衞生《せいりえいせい》の學理《がくり》を講釋《かうしやく》した處《ところ》で、夫《そ》れ丈《だ》けでは決《けつ》して要領《えうれう》は得《え》られない、何《なん》となれば、食《しよく》の使
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