守護されておりましたし、また田舎には、年とった母がまだ生きていた。大試験《テルム》が済んで田舎へ休暇に帰って行く、その楽しさといったらありませんでした。長い野道の向うに、私の家が見えかかってくると、私は、嗚咽《おえつ》を止める力さえなかったほどでした」
カラスキーの頬に、ほのかな血の色がさし、その眼は、じかに何か好もしい風景にでも触れているような、一種恍惚とした翳《かげ》の中に沈み込んだ。
「……わたしの田舎は、ドニエープル河のそばのザパロージェというところにあるのです。河の名前ぐらいはお聞きになったことがあるかもしれない。ウクライナの南のほうです。……夏が近くなると、野生の雑草が繁った茫漠《ぼうばく》とした草原の中に、数限りない花が咲乱れています。高い草を押し分けるようにして、連翹《れんぎょう》色のオローシカが咲いている。黄金色のえにしだ[#「えにしだ」に傍点]が三角形の頭を突き出し、白い苜蓿《うまごやし》が点々と野面《のづら》を彩っています。……鷓鴣《しゃこ》が飛び出す、鷹がゆるゆると輪を描く。……夕方になると、湖から飛び上った白鳥の列が、銀の鈴を振るような声で鳴きながら北のほう
前へ
次へ
全31ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング