ことはできません。……わたしは、これでも勅任官ですからね。いくらなんでも、盗みを働くというのは困ります」
 石亭先生は、ベイエの道徳社会学というしちめんどうな学問を専攻していられる。
 ひとくちに言うと、先生は、道徳は進歩するものか退歩するものかという、一見、迂遠な学問に憂身《うきみ》を窶《やつ》していられるのである。
 たとえば、一夫多妻の制度が、厳重な一夫一妻制度に発達した、こういう事実からみて、道徳は進歩するものと考えられる。ところで、これに対して、道徳はむしろ退歩するものだという学説がある。その根拠として、現代の犯罪は非常に科学的惨忍になり、犯罪数が以前より増加したという事実を挙げる。先生は、退歩するほうに味方していられるので、退《の》っぴきならぬ退歩説の実例を得るためには、夫子《ふうし》それ自身、そういう下層の日常の中で生活する必要があるという痛烈な決心をし、荷物をひき纏《まと》めて静寂閑雅なパッシイの高等下宿《パンション・ド・ファミイユ》から、新市域の乞食部落《ゾーン》へ引っ越していった。
 Zone というのは、巴里市内に散らばっていた乞食や浮浪人を取締るために、ひと纏め
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