いる。
「ほうらね。だから、言わないこっちゃない。……美人局《つつもたせ》ですか?」
先生は、今度は手巾《ムウショアール》の端を口に銜《くわ》えて、手で引っ張る。田舎芝居の新派の女形《おやま》が愁嘆するような、なんとも嫌らしい真似をする。もっとも、先生は夢中になっているので、自分では気がつかない。
「いや、もっと物騒なやつなんです。……美人局のほうなら、これでも、どうにか切り抜ける自信があります」
先生は、口から離した手巾《ムウショアール》を禿げ上った顔のほうへ持ってゆく。
「実は、盗っとに誘われましてねえ」
「盗っとが何を誘ったのです」
先生は、手で煽《あお》ぐようにして、
「いや、そうじゃないんです。つまり、盗っとに行こうと誘われたんです」
「いらしたらいいでしょう。……巴里《パリ》の下層社会《ゾニェ》の人情風俗をうがつために、わざわざあんなところに住んでいらっしゃるんだから、そこまで磅※[#「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1−89−18]《ほうはく》しなければイミをなさんでしょう」
先生は、あッふ、あッふ、と泳ぎ出して、
「じょ、じょ、冗談を言っちゃいけない。そんな
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