を言ってみる。
「ええ、どうも、それがねえ、いっこう、とりとめがなくて」
カラスキーは、肱をとって、ゆっくりと隅のほうへ連れて行き、そこの椅子に掛けさせると、隠したって何もかも先刻ご承知だという顔で、
「わかっています。相当念入りにやったつもりですから、おそらく、先生は慄え上っていられるでしょう。……わたくしはムッシュウ・ヤマカワが道徳社会学を専門にやっていられる篤実な学者《サヴァン》だということをよく知っているんです。……ところが、どういうものか、先生は、たいへんに悪党振られる。すっかり悪徒気取りで、去年の三月には、国立割引銀行《デスコント・ナショナル》の使童《グルウム》を襲って三千|法《フラン》ばかりせしめたの、体育場《イッポドローム》の出札嬢を威《おど》して有金残らず頂戴してきたことがあるのと途方もないことを言われるのですな。こいつを、見当ちがいな隠語《アルゴ》まじりかなんかでやるんですから、聞いていると、噴き出さずにはいられないんです。……こっちがいっこう相手にしないもんだから先生|焦気《やっき》となりましてね、これでもか、これでもかというふうに、一日ましに法螺《ほら》の桁がひとつずつ上ってゆくんです。このごろは、金高のほうも相当莫大になりましてね、二十万|法《フラン》ばかりのところへ行っているんです。……人間《ひと》もだいぶ殺しましたねえ。わたくしの知ってるところでは、坊さんが三人、タキシーの運転手が二人、歯医者が一人に造花屋の女工《ミジネット》が一人。……だいたい、こういった塩梅《あんばい》なんです。たいへんな虐殺です。ここへ来る連中も、とても先生には敵《かな》わないということになってしまって、まるで腫物にでも触るようにビクビクして、うっかりそばへも寄りつけないようなありさまなんです。実際ね、先生にとっ捕まっちゃ百年目。この世に有りとあらゆる悪事の総|浚《ざら》いをされるんだから、たいがい茹《ゆだ》ってしまうのです。放っておくと手に負えないことになりそうなので、今日の昼、出鱈目なことを言って、ちょっと先生を威かしてみたんですが。……どうです、薬が効いたようでしたか? あの臆病な先生のことだから、さぞ、仰天なすったことでしょうね」
いやはや、とんだことを聞くものだ。先生が、こんなところでそんな馬鹿の限りを尽していられようとは、さすがに知らなかった。同国
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