たことはありませんな」
竜太郎は、執拗に押しかえした。
「つまり、絶対に外出してはならぬと……」
「そう申してはおりません。そのほうが御安全だろうというのです。これは御忠告です」
あくまで丁寧だったが、
「その理由は? じつは、私は昨夕おそく着いたばかりなので、何がなにやら、どうも、途方に暮れておるのです……」
鋭い声が、遮った。
「戒厳令実施中ですから」
「だから、その理由を……」
「それは、お答えする限りではありません」
さすがに、それ以上押し返すわけにはゆかなかった。
竜太郎は司令部を出ると、地図をたよりに、王宮のある『北公園《パルク・ポラ》』の方へ歩いていったが、間もなく、コソヴオ橋の袂で銃剣の兵士に堰き止められてしまった。それから以西は管制区域になっているということだった。
文部省は、猶太《ユダヤ》教の寺院に隣った、美しい糸杉で囲まれた一画の中にあった。若い書記生らしい青年に紹介状を手渡しすると、ここでも長い間待たされた後、けっきょく、多忙で、今日はお目にかかれないという、答えだった。
竜太郎は運河の並木道を、すごすごとホテルの方へ帰りかけた。ふと、思いついて、
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