てきたことを、竜太郎は、すっかり忘れていた……。
陸軍司令部の大きな鉄門の前には、物々しく土嚢が積まれ、そこでもチェッコ機関銃が蒼黝い銃身をのぞかせていた。
竜太郎は、下士官の控室のような、粗末な部屋の床几で長い間待たされた。査証を受ける外国人が、雨天体操場のようなこの広い部屋にあふれ、四五人ずつかたまりあっては、緊張した顔で何かひそひそと語り合っていた。
竜太郎は、じぶんの隣りに掛けている赭ら顔の英吉利人らしい男に、たずねてみた。
「いったい、何が始まってるんですか」
英吉利人は、肩を揺ったきり、返事をしなかった。
正午近くなってようやく呼び込まれた。査証だけではすまなくて、ここでも、様々と手のこんだ訊問を行ったのち、こんな達示をした。明日以後は、ホテルに宿泊している外国人は、ホテルから一括して査証を受けさせるが、その代り、市中通行を禁止する。それによって、何等かの被害を受けても、当局は、その責めに応じない、ということだった。
「つまり、ホテルから一歩も出てはならないというのですね」
胸に綬をつけた白髯の老士官は、慇懃に微笑しながら、
「万全を願うならば、そうなさるに越し
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