新聞売台でロンドン・タイムスやニューヨーク・ヘラルドを買って、街路樹の蔭のベンチに腰をおろした。
 あわただしく頁をかえして、近東版のある場所を探し出すと、七八種もあるその新聞のいずれもが、一箇所ずつ丁寧に切り抜かれていた。まさに、手も足も出ない感じだった。不吉な想念がひしひしと胸に迫って、いても立ってもいられぬような焦躁を感じる。といって、どうすることも出来ない。味気なく煙草をくゆらして、わずかに紛らわすほかはなかった。
 ちょうど、その時、真向いの家の二階の窓にチラと人影がさしたと思うと、窓硝子の割れるけたたましい音がし、絹を裂くような叫び声と共に、破れた窓硝子の穴から、白い細い手が、空をかい探るように、ニュッと二本突き出された。が、それも瞬時のことで、幻のように白い手は消え、そのかわりに、今度は、荒々しい四五人の男の怒声が聞えてきた。
 竜太郎は、ベンチから跳ね上ると、加勢でも求めるというふうに、反射的にすばやく道路の右左を眺めた。河沿いの長い道路には、ただひとつの人影もなかった。
 怒声と鋭い女の叫び声は、それから暫くつづいていたが、突然、劈くような一発の銃声が響きわたり、それ
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