ちょうど今日が初日で、沸き返るような前景気。まず、ざっとこんなあんばい。
才気縦横、多技多能……、四|通《つう》八|達《たつ》とでも言いましょうか、江戸始まって以来の奇才と評判される多忙|多端《たたん》の源内先生が、明和七年正月十六日の朝ぼらけ、ところもあろうに五重塔の天辺で悠々閑々と筒眼鏡で景色などを眺めてござるなどはちと受取れぬ話。
尤も、ちょっとひとの考えつかぬような図外れたことばかり思いつかれる先生のことだから、迂濶に景色を眺めているというのではあるまい、何かそれ相当の変った方寸《ほうすん》があられるのだとも察しられるのである。
呆気にとられ、あんぐり開いた伝兵衛の口に、春の風。
あふッ、と息を嚥《の》んで、
「先生、……平賀先生、あなたはまア、そんなところで一体何をしていらっしゃるんです」
先生が湯島天神《ゆしまてんじん》から白壁町へ引っ越して以来の馴染なので、伝兵衛は遠慮のない口をきく。先生の方では下らん奴だと思っていられるかして、どんなことを言っても怒ったような顔もしない。
これでよく御用聞がつとまると思うほど、尻抜けで、気が弱くて、愚図で、とるところもないよ
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