い出したってしようがない。それどころじゃないんだから、憎まれ口なら後にしてもらおう」
 長い顔を、路考の方へ振向けて、
「話はだいたい嚥《のみ》込んだが、十年前にさる人に、だけじゃ、どうも困る。どういう経緯《いきさつ》で、誰にやった手紙なのか、話していただくわけにはゆきませんか」
 路考は、すぐ頷いて、
「大きな顔で申上げられるようなことでもありませんけど、隠していると何かご迷惑があるようですから、何も彼も包まず申上げます。……でも、ここはひとの出入りがはげしいから、むさ苦しいところですが、あちきの部屋までおいで願って……」
 源内先生は、頷いて、
「あまり、手間はとらせないつもりだから、じゃ、そういうことにして……」
 楽屋部屋へ通ると、路考は淑《しと》やかな手つきで煎茶をすすめながら、
「……その年の春、あちきは『さらし三番叟《さんばそう》』の所作だけで身体が暇なものでございますから、日頃ご無沙汰の分もふくめ、方々のお座敷を勤めておりました。そのうち、京都の万里小路《までのこうじ》というお公卿《くげ》のお姫さまの殺手姫《さでひめ》さまというお方にお見知りをいただき、その後二度三度、
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