になる。
(するてえと、こりゃア、手傷を負ったままやって来て、いよいよいけなくなってここでぶッくらけえったんじゃありませんかしらん。船弁慶の知盛《とももり》の霊でもあるめえし、抜身を持った幽霊なんてえのは、当今、あんまり聞きませんからねえ)
 出尻伝兵衛、したり顔で偉らそうな口をきいたが、この差出口はまるで余計なようなものだった。
 仮にそうだとすると、血の痕がずっと藪下の方から続いていなければならぬ筈だが、足跡の上には、紅梅の花びらほどの血も落ちていないのだから手《て》がつけられない。与力の橋爪左内《はしづめさない》にあっさりとやり込められて、伝兵衛、赤面して引き退った。
 すったもんだはあったが、結局、どうして殺されたのか判らずじまい。ふしぎなこともあるもんだな。で、チョン。
 尤も、身許の方はすぐわかった。近江屋《おうみや》[#ルビの「おうみや」は底本では「あうみや」]という伝馬町の木綿問屋の末娘で、初枝《はつえ》という十八になる娘。
 源内先生いうところの気憂病《クーフデ・デリフト》。暮から根津の寮に来ていて、寝たり起きたり、ぶらぶらしていた。
 ちょうど七ツ頃、雪が止んで、ク
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