を挿した娘に限って殺されるなんてえことになったら、わざわざ長崎から伽羅を引き、二階の座敷を木屑だらけにして櫛を梳かせ、何とかこいつを流行らせようというので、一瓢《いっぴょう》を橋|渡《わたし》にして、吉原丁字屋《よしわらちょうじや》の雛鶴太夫《ひなづるたゆう》に挿させたまでの苦心の段が水の泡。それやこれやで、ぱったり売れなくなり、千二千と作った櫛がまるっきりフイになる。……そんなことになったら、あなただってお困りでしょう」
「そりゃ困る。そもそも、物産や究理の学問は、儒書をひねくるのとちがって、模型を作ったり、究理実験をしたり、薬品の料《しろ》だけでも並々ならぬ金がいる。そういう費用を捻出しようと思って、あんなものを売出したのだから、その方がばったりいけなくなると、従って、究理実験の途も止まるわけで、わしとしても甚だ迷惑する」
「ですから、他人《ひと》ごとみたいに言ってないで、先生も、いちばん、身をお入れにならないじゃならねえ場合だと思うんです」
 源内先生は、あまり機嫌のよくない顔で、空の一方を睨んで突っ立っていられたが、だしぬけに、ひどく急《せ》き込んだ調子で、
「よし、わしも覚悟をきめた。こういう愚なことで、わしが損害を受けるのは、如何にも馬鹿馬鹿しい話だから、わしのやれるだけのことはやってみるつもりだ。伝兵衛、お蔦という娘の部屋はどこだ。わしが行って探してやる」
 金唐革《きんからかわ》の文箱《ふばこ》に、大切《だいじ》そうに秘めてあった一通の手紙。
 浜村屋の屋号|透《すか》しの薄葉《うすよう》に、肉の細い草書《くさが》きで、今朝《こんちょう》、参詣|旁々《かたがた》、遠眼なりともお姿を拝見いたしたく、あわれとおぼしめし、六ツ半ごろ、眼にたつところにお立ち出でくだされたく、と書いてある。
 源内先生は、ジロリと伝兵衛の顔を振仰いで、
「これで引っかかりだけついたようだな。市村座は今日が初日。もちろん小屋入りをしているだろう。さア、これからすぐ乗込んで行こう。……ことによれば、ことによるぞ」
 葺屋町《ふきやちょう》へ入って行くと、向うから坊主頭を光らせながらやって来たのが、浅草茅町《あさくさかやちょう》に住む一瓢《いっぴょう》という幇間《ほうかん》。源内先生の顔を見るより走り寄って来て、いきなり、両手で煽ぎ立てながら、
「いよウ、これは大先生。いやもう、大
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