人気、大人気。堺町《さかいちょう》の小屋は割れッ返るような騒ぎでげす。手前、早速、馳せ参じて、中段を拝見してまいりましたが、まったくもって敬服尊敬《けいふくそんきょう》の至り。……
『右よ左と附廻《つけまわ》す、琥珀の塵や磁石の針』……琥珀の塵や磁石の針、はいい。大先生のような究理学者でなければ、とても出ない文句。先生のご才筆には、ただただ感涙にむせぶばかり、へえこの通りッ」
 ガクリと坊主頭を下げる。
 源内先生は、焦れったそうに足踏をしながら、
「それはいい、……それはいいが、一瓢さん、ちとひょんなことになった。売出しの節は色々とお骨折りをかけたが、どうも馬鹿な破目になって、弱っているところだ。大きな声じゃ言えないが、あの櫛を挿す娘は、みな妙な死方をする」
「先生、威《おど》かしちゃいけません」
「いや、本当の話。その掛合で、これから浜村屋の楽屋へ行くんだが、あなたもどうか一緒に行ってください」
 一瓢は、何か思惑ありげに眼を光らせ、
「浜村屋に、何かあったんですか」
「まだ、そんなところまで行っていない。今のところは、ほんの引っ掛りだけなんだが」
「よござんす。どんなことか知らないが、あっしもお供しましょう。役者に女、と、ひと口に言うが、あの路考ッて奴ほど薄情な男はない。いよいよとなったら、あっしも少し言ってやることがあるんです」
 源内が先に立って、楽屋口から頭取座の方へ行くと、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》が、傾城《けいせい》揚巻《あげまき》の扮装《いでたち》で、頭取の横に腰を掛けて出を待っている。
 五歳の時、初代路考の養子になり、浜村屋瀬川菊之丞を名乗って、宝暦《ほうれき》六年、二代目を継いで上上吉《じょうじょうきち》に進み、地芸《じげい》と所作をよくして『古今無双《ここんむそう》の艶者《やさもの》』と歌にまでうたわれ、江戸中の女子供の人気を蒐めている水の垂れるような若女形。
 源内先生は、大体に於て飾りっ気のないひとだが、こんなことになると、いっそう臆面がない。
 薄葉を手に持って、ズイと路考のそばへ寄って行くと、
「路考さん、突然で申訳ないが、この手紙は、あなたがお書きになったのでしょうね」
 路考は、何でございましょうか、と言いながら、パッチリを塗った白い手を伸して、それを受取って、ひと目眺めると、どうしたというのか、見る眼も哀れなくらいに血の
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