か恨みを受ける覚えでもあるのか」
もう精が尽き果てたのか、見る見るうちに顔が真ッ白になって、小網町、廻船問屋、港屋太蔵の妻、鳥と答えるのがようよう。後は何を訊いても頷くばかりだった。そのうちに手足に痙攣《ふるい》が来て、吃逆《しゃっくり》をするような真似をひとつすると、それで縡《ことぎ》れてしまった。
乙平が番屋へ訴え出、番屋から北番所《きた》へ。
時を移さず、与力|小泉忠蔵《こいずみちゅうぞう》以下、控同心|神田権太夫《かんだごんだゆう》。それからお馴染のお手付御用聞、土州屋伝兵衛、引連れて出役。
手を尽して調べて見たが、格別乙平の訴えより変ったところもない。陳東海はお鳥を突刺して置いて自分は勝手口から飛出して行ったものらしい。その形跡ははッきりと残っている。もう一つは手口が少しちがう。日本人なら突ッ通すか刳《えぐ》るか、この二つのうちだが、傷口を見ると、遠くからでも匕首を打込んだような、しゃくッたようなようすになっている。
殺された当人がはッきりと陳東海だと言ったのだから、これ程確かなことはないわけで、その日の夜遅く、同じく唐通詞《とうつうじ》で八官町《はっかんちょう》に
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