る。右手の丘山《おかやま》の斜面《なぞえ》には聖福寺《せいふくじ》や崇徳寺《すうとくじ》の唐瓦。中でも崇福寺《すうふくじ》の丹朱の一峰門が山々の濃緑から抽《ぬき》ん出て、さながら福建《ふくけん》、浙江《せっこう》の港でも見るよう。
出島《でじま》に近い船繋場《ふなつきば》には、和船に混って黒塗三本|檣《マスト》の阿蘭陀《オランダ》船や、艫《とも》の上った寧波《ニンパオ》船が幾艘となく碇泊し、赤白青の阿蘭陀《オランダ》の国旗や黄龍旗《こうりゅうき》が飜々《ひらひら》と微風に靡《なび》いている。
山々のたたずまいも港の繁昌も、十七年前と少しも変らない。何もかもみな思い出の種で、源内先生は、深い感慨を催しながら舷側に倚《よ》って街や海岸を眺めていたが、そのうちに頸《くび》に下げた骨箱に向って、
「さあ、利七さん、長崎へ帰りました。ここはあなたの生れ故郷。さぞ懐かしいこったろう。いや、口惜しく思いなさるだろう。生きて帰れる身が唐人づれの手にかかってこんな姿になってしまったんじゃ、あんたも口惜しかろう。間もなくお種さんに逢わせてあげますが、こういうあなたの姿をお種さんが見たらどのように歎くか
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