。どうもあなたの見違いだッたと思うほかはない。さもなければ、陳東海に双生児《ふたご》の兄弟でもあって、二人で諜合《しめしあわ》せて殺《や》ッたことかも知れない。しかし、何であるにせよ、必ずわたしが追詰めてあなたとお鳥さんの敵を取ッてあげますから、それが供養だと思ってどうか成仏してください。ねえ、利七さん、あなたの骨《こつ》はあたしが長崎迄抱いて行ってあげますから」
盂蘭盆《うらぼん》の夜の出来事
検屍やら骨上《こつあ》げやら葬式やらと、福介と二人で何から何迄仕切ってやってのけ、大阪で初七日を済まし、奉行所の手続きもすっかり了《お》えてから、詳しく事情を認めて江戸の伝兵衛のところへ早飛脚《はやびきゃく》を立てた。
江戸と大阪で同じ日の同じ刻に同じ唐人がそれぞれ二人の人間を殺したというので、これがたいへんな評判になり、何処へ行ってもこの噂ばかりだッた。
どう考えても有りようもないことだが、江戸ではお鳥がはッきりと陳東海だったと言い、利七の方も、紛れもなく陳東海だときッぱりと書残している。死ぬ間際に益もない作りごとをする筈もないのだから、二人の申立は事実だと信
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