に手前も嚇怒《かくど》致し、何をすると叫びながら組付行くに、その煽《あお》りにて蝋燭の火は吹消え、真の闇となり、皆目見当も附かぬ事なれば壁際に難を避けんとする処、陳は手前の背後より抱付《だきつ》きて匕首を突刺し其|儘《まま》何処《いずく》へか逃去申候《にげさりもうしそうろう》、たいへんなる痛手にて最早余命|幾許《いくばく》も無之《これなく》と存候《ぞんじそうろう》、この様なる所にて犬畜生同様名も知れぬ屍《かばね》を曝《さら》すこと如何にも口惜しく候|儘《まま》、息のあるうちに月の光を頼りに一筆書残し申候、右に認《したた》めし條々実証也
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[#地から2字上げ]長崎|本籠町《もとかごまち》 唐木屋利七

 源内先生は、窓の傍で繰返し巻返しそれを読んでいたが、また利七の傍《そば》へ戻って来て、
「確かに拝見しました。……でもね、利七さん、あなたの見違いではなかッたのかね。陳東海は確かに江戸にいるのみならず、同じ日の同じ頃、江戸でお鳥さんを殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程《みちのり》。江戸で人を殺している人間が同じ日の同じ頃に大阪で人を殺せるわけのものではない
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